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ジーコに日本での活動をオファーした? アントニオ猪木の「闘魂ブラジル外交」

原悦生(カメラマン)

2022年04月28日 公開 2024年12月16日 更新

ジーコに日本での活動をオファーした?  アントニオ猪木の「闘魂ブラジル外交」

元プロレスラー・アントニオ猪木は13歳の時に、移民として一家でブラジルへと渡った経験を持つ。平成に入り、政界に転出した猪木は、ブラジルのコロール新大統領の就任式に招待され、第二の故郷を来訪することになる。

50年間、猪木の姿を追い続けた番カメラマン・原悦生氏が、ファインダー越しに目撃した、参議院議員として国内外を奔走する猪木を語った。

※本稿は、原悦生写真&著「猪木」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

政治家・猪木が中南米でみせる“闘魂外交”

1990年3月、政治家・猪木のブラジル、パラグアイ、ニカラグア、メキシコ、キューバといった中南米の旅に同行することになった。

この時、猪木はブラジルのフェルナンド・コロール・デ・メロ新大統領の就任式に招待されていた。それに合わせて、行く先々の国で首脳と会うというのである。

ブラジル以外はどの程度、アポイントメントを取っているのか不明のままというか、おそらくアポなしの旅だったが、私は1~2人でも会えればいいと思っていた。

首都ブラジリアで行われたコロール大統領の就任式は私の取材パスが用意されていたが、夜に行われる大統領府での就任パーティーは会場に入れるかどうか不安だった。

私は何のパスもなかったが、猪木の同行者ということで無事に中に入ることができ、近くでの撮影も許可されたのでホッとした。

リオ・デ・ジャネイロに滞在中、「昼は大統領と食べるから」と猪木が言ってきた。

この「大統領」とは現職のコロール氏ではなく、政治家を引退していたジョアン・フィゲレイド元大統領のことで、猪木とは昔からの友人だ。

私は失礼のないようにスーツに着替えたが、ロビーに降りると猪木はラフな格好をしている。

「あれっ、確か大統領と食事をすると言っていたよな…」

車は約2時間、郊外から山へと走った。山奥の別荘に到着すると、フィゲレイド氏は半ズボン姿で我々を出迎えてくれた。

 

フィゲレイド元大統領と猪木「知られざる絆」

私がフィゲレイド元大統領に会うのは、これが2回目だった。

現役の大統領として国賓扱いで来日した1984年6月、フィゲレイド氏は猪木が経営していた六本木のブラジル料理店『アントン』を訪れた。

スポーツニッポンの写真記者だった私は仕事を休んで、猪木と大統領の写真を撮るために店へと向かった。

この時、猪木は日本政府ではなく独自のルートで大統領とコンタクトを取っており、来日した折には自分の店に招きたいとオファーを出していた。

猪木が1976年に2度目のブラジル遠征を敢行した時は、フィゲレイド政権下だった。現地での大会にはリングサイドに大統領の姿もあり、2人はこの頃からの顔見知りなのだ。

個人的な目的で『アントン』を訪問した大統領だが、実際は国賓なので警備が厳重で、我々マスコミは入り口で撮影した後は外で待機していた。

本来、国賓は政府側が用意したスケジュールに乗っ取り、決められた場所にしか行ってはいけないという暗黙のルールがあるそうだ。それも当然だろう。

何かアクシデントが起きたら、国際問題に発展する可能性もある。だが、この『アントン』訪問は大統領側の強い要請があったようだ。

しばらくすると、店からスタッフが出てきて、「大統領が中に入ってくださいと言っています」と私も含めて残っていたカメラマン数人が店内に招き入れられた。

そこにあったのはテーブルを囲んで談笑している猪木、倍賞美津子さん、寛子ちゃん、大統領の姿。大統領側が何を思ったのかはわからないが、猪木と久々に対面して嬉しかったのだろう。

驚くことに、そのまま15分くらい自由に撮影させてくれただけでなく、コーヒーまで振る舞ってくれた。もちろん、猪木も上機嫌で、やはりブラジルは第二の故郷であり、格段の思い入れがあるのだと実感した瞬間でもあった。

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招待者へも欠かさない「猪木の気づかい」

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