中森明菜の記念すべきデビュー曲『スローモーション』。この、落ち着いてしっとりとした曲でデビューしたからこそ、その後の怒涛の快進撃があったと強く信じる。逆にいえば、もしデビュー曲が、後に述べるほかの候補曲だったとしたら、あれほどまでのブレイクには至らなかっただろうし、私がこのような本を書くこともなかったかもしれない。
※本稿は、スージー鈴木著『中森明菜の音楽 1982-1991』(辰巳出版)を一部抜粋・編集したものです。
特有の「歌謡曲らしくなさ」「アイドルソングらしくなさ」
この傑作を取り巻いた人間模様を克明に追っていく。まずは中森明菜自身。ボーカル自体はまだあどけなさを残しているものの、その後明らかになっていく、抜群の声量、ふくよかな中域の片鱗を十分に感じさせる。技巧性がいよいよ増していった80年代後半のボーカルより、まるで原石のようなこの歌声のほうに魅せられる人は少なくないのではないか。
では楽曲そのものの個性はどうだろう。特に『スローモーション』特有の「歌謡曲らしくなさ」「アイドルソングらしくなさ」について考えてみたい。言い換えると、歌謡曲と別ジャンルとの中間という感じがすると思うのだ。
その「別ジャンル」の名称は 「ニューミュージック」。今や死語となってしまった、この言葉。意味としては、戦後生まれ世代が、主にビートルズなどの洋楽の影響を受けて自作自演した音楽の総称。
『スローモーション』が発売された82年あたりだと、まだ普通に使われていたもの。言うまでもなく、そのニューミュージック臭、自作自演臭は、来生えつこ・来生たかおという姉弟ソングライターチームの仕業である。
「81年11月の来生姉弟」は忙しかった。薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』が81年11月21日リリース、大橋純子『シルエット・ロマンス』が同じく81年11月25日にリリースされた。この年の暮れあたり、この2曲によって、人々は「来生」という2文字を「きすぎ」と読み取れるようになる。
メジャー(長調)全盛の平成Jポップ時代を通り過ぎた今聴けば、マイナー(短調)のこの2曲は、少々歌謡曲っぽく感じるのだが、当時の印象は歌謡曲よりもエレガントかつ上品で、私含む当時の音楽ファンは、来生姉弟を「新世代ソングライターチーム」として認定した。
新世代ソングライターチーム・来生姉弟からの挑戦状
さて、中森明菜のデビューに向けて、薬師丸ひろ子の存在は、かなり意識されていたようだ。初代ディレクター・島田雄三は、サイト「リマインダー」(2022年12月21日)のインタビューでこう語る。
――僕の中では、薬師丸ひろ子さんみたいな人がかっこいいなと思っていた。セーラー服を着て機関銃をぶっ放して「カ・イ・カ・ン」っていうようなね。
しかし、驚くべきは、『スローモーション』が書き下ろしではなかったという事実だ。つまり中森明菜に「当て書き」されたものではなかったのである。同インタビューより。
――当時はえつこさんもたかおさんも、ものすごく売れているときで、いろいろなところからオファーがあって、かつご自身のアルバムもどんどん作らなければいけないときだったので、僕がお話にいったときは「今は新しい楽曲を作れません」と言われたんですね。僕はいわゆるビッグネームの人たちからも断られていて、来生さんたちのような新しい人たちとやるしかないわけだから「それはもう全然かまわない。今アルバムに用意してる楽曲でもいいから聴かせてください」って言ったんですよ。スローモーションは、その中の1曲です。書き下ろしじゃないんです。
ということは、『スローモーション』を名曲たらしめたのは、もちろん来生姉弟だけでなく、この曲に目を付けた島田雄三の「発見力」も、大きな役割を果たしたことになる。
少し細かい話をする。大橋純子の代表曲は、『シルエット・ロマンス』に加えて『たそがれマイ・ラブ』(78年)だ。こちらは作詞:阿久悠、作曲:筒美京平という、70年代昭和歌謡のトップ・オブ・トップといえるソングライターチームの手によるもの。
私は『シルエット・ロマンス』を、同じく大橋純子の名曲を紡ぎ出した歌謡界のトップ・オブ・トップに対する、新世代ソングライターチームからの挑戦状だと、勝手に考えていたのだが。
しかし『スローモーション』は、実は『たそがれマイ・ラブ』のほうに、音楽的近似性が認められるのである。具体的にいえば、サビ「出逢いはスローモーション~」からと『たそがれマイ・ラブ』のサビ「しびれた指 すべり落ちた」からのコード進行が似ている。もっといえば、『スローモーション』のカラオケで『たそがれマイ・ラブ』が歌える(さらにはこの後の『セカンド・ラブ』でも同様のコード進行が出てくる)。
もちろん、盗用だ・パクリだなどの低レベルの話をしているのではない(そもそも、しばしば使われるコード進行でもある=後述)。偶然の一致という可能性も高いだろう。そんなことより重要なのは、中森明菜の向こう側に、大橋純子がいるという事実である。
さらにいえば、デビュー間もない16歳の少女が、爆発的な歌唱力でならした大橋純子に通じるメロディを歌っているという事実。
さらには、編曲家・船山基紀の存在も大きい。当時の船山といえば沢田研二『勝手にしやがれ』(77年)など、歌謡曲のイメージが強いが、ニューミュージック系の渡辺真知子や五輪真弓にも、力量をいかんなく発揮しており、そんなセンスが『スローモーション』でも十分に活きている。
イントロの高揚感、エンディングのミステリアスな香りはどうだ。渡辺真知子『ブルー』(78年)や五輪真弓『恋人よ』(80年)と並ぶ、当時の船山基紀マスターピースのひとつに数えられるだろう。
シングルカットに貢献した「中森兄妹」
加えて、来生姉弟だけでなく「中森兄妹」も、『スローモーション』のシングルカットに貢献しているのだという。中森明菜『本気だよ 菜の詩・17歳』(小学館)によれば、明菜は兄の明浩と母校・清瀬中学に乗り込んで、『スローモーション』に『Tシャツ・サンセット』『銀河伝説』『あなたのポートレート』を加えたシングル候補の計4曲について、生徒からアンケートをとったというのだ。
――でもね、やっぱり若い子の意見も聞きたいじゃない、それで明浩兄ちゃんと相談して、母校の清瀬中学に行ってみることにしたの。昼休みに校内放送で流してもらってアンケートをとればいいもんね。
校内放送アンケートは、教頭先生に断られるものの、「元暴走族だという話の分かる」音楽の先生が協力してくれて、授業を中断して、生徒にアンケートをとってくれたという。
結果、1位は『Tシャツ・サンセット』、2位が『スローモーション』。これら4曲はデビューアルバム『プロローグ〈序幕〉』で聴くことができるのだが、『春うらら』(76年)で知られる田山雅充が作曲した『Tシャツ・サンセット』は、ニューミュージックというより「フォーク歌謡」の味わいで、当時としても、ちょっと野暮ったく感じられたのではないか。アンケートしながらも、2位の曲をシングルに採用したのは、賢明な判断だったと思う。
オリコン最高30位、17.4万枚。しかし驚くべきは39週もチャート圏内に留まったということ。来生姉弟・薬師丸ひろ子・大橋純子・島田雄三・船山基紀、そして中森兄妹に清瀬中学の生徒――多様な人々が交差する人間模様の中で、大きな物語が、ゆっくりと、スローモーションで動き出した。