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なぜ憎しみは生まれる? 脳科学者が明かす「人を攻撃に駆り立てる」脳内物質

中野信子(脳科学者)

2024年09月23日 公開 2024年12月16日 更新

なぜ憎しみは生まれる? 脳科学者が明かす「人を攻撃に駆り立てる」脳内物質

脳科学者の中野信子さんによると、他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である「ドーパミン」が放出されるといいます。この正義に溺れてしまった「正義中毒」の状態が、人同士の対立を生んでいるのです。正義と同調圧力の関係について、書籍『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』より解説します。

※本稿は、中野信子著『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

正義中毒のエクスタシー

人は、本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできています。

そのために重要な役割を果たしている神経伝達物質のうちの一つが、ドーパミンです。私たちが正義中毒になるとき、脳内ではドーパミンが分泌されています。ドーパミンは、快楽や意欲などを司っていて、脳を興奮させる神経伝達物質です。端的に言えば、気持ちいい状態を作り出しています。

自分の属する集団を守るために、他の集団を叩く行為は正義であり、社会性を保つために必要な行為と認知されます。攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽が得られるので、やめられなくなります。自分たちの正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す「悪人」として叩く行為に、快感が生まれるようになっているのです。

自分はそんな愚かしい行為からは無縁だ、と考える方もいるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?

例えば、テレビを見ていたら、どこかのある親が自分の子どもを虐待しているような、ひどいニュースが流れていたとします。食べ物を与えない、暴言を浴びせる、殴る、放置する、その様子を動画で撮影する......そして傷つき、命を落とす子ども。ひどい話で、およそ子を持つ親の所業とは思えないような事件です。

マスコミは連日詳細を報じます。この親は他にもこんなひどいことをしていた、周囲からこんな証言が得られた、子どもがSOSを出していたのに、なぜ行政はうまく活かせなかったのか。このような人間に親の資格があるのか、地域は、学校は、児童相談所は何をしていたのか......。さまざまな思いが去来することでしょう。

このようなとき、こうした出来事とは全く無関係な一人の視聴者としての私たちは、無関係ゆえに絶対的な正義を確保している立場にいます。自分は、こんな風に子どもを虐待しないと思っています。そして、正義の基準からはみ出して注目を浴びてしまっている人に対して、いくら攻撃を加えようとも、自らに火の粉がふりかかることはありません。

「ひどいやつだ、許せない! こんなやつはひどい目に遭うべきだ、社会から排除されるべきだ」と心の内でつぶやきながら、テレビやネットニュースを見て、自分には直接の関係はないのに、さらなる情報を求めたり、ネットやSNSに過激な意見を書き込んだりする行為。これこそ、正義中毒と言えるものです。このとき人は、誰かを叩けば叩くほど気持ちがよくなり、その行為をやめられなくなっているのです。

 

正義と同調圧力の関係

こうした正義中毒による対立は、他のどのような集団同士でも起こり得ます。与党と野党でも、会社の営業部門と製作部門でも、ドイツ人とフランス人でも、男性と女性でも同じことです。○○党だから、営業職だから、○○人だから、男だから起こるのではなく、人間である以上必ず起こるのです。

不思議なことに、互いの正義中毒が、双方の需給をうまくバランスさせているケースもあります。ヘイトスピーチまがいの主張をしている集団がいる一方で、その集団に「ヘイトスピーチをするな!」と糾弾している集団がいます。

もしも何らかの解決が図られて、双方、あるいはいずれかの存在がなくなってしまったら、そこに所属していた人々は、おそらくずいぶん張り合いのない毎日だと感じ始めてしまうことでしょう。

目の前にいる集団に対して「我こそは正義、お前は不正義」と言えることが快感なのですから、「ヘイトだ」「ヘイトじゃない、お前こそヘイトだ」と言い合っている状態は、いわば互いにドーパミンを出し合う状況を提供し合っている関係とも言えるわけです。「つぶしてやる」と言いながら、本当につぶれられたら困ってしまうのです。はたから見ているとほとんどコントのようで滑稽ですが、本人たちは大真面目にやっているのです。

スポーツの因縁対決にも同じような構図が見られることでしょう。日本のプロ野球では、読売ジャイアンツと阪神タイガースの戦いが、積年のライバル同士の伝統の一戦と捉えられているようです。

阪神だけには負けたくない、他チームに負けても読売にだけは勝ちたい、というファン心理は、試合の勝ち負けだけでなく、チームの運営手法やファンの態度まで含め、互いに激しくけなし合いながらも、実はその対立そのものを楽しんでいるという側面があります。こうしたスポーツ等における長年のライバル関係と、そこに付随している集団心理は、世界中で見られるものです。

ただ、あくまでスポーツですから、ライバル関係もそれに伴う批判合戦も、ある種の様式美と多くの人はどこかで理解もしているはずです。もしも、巨人のいないリーグになってしまったら、一番残念なのはもしかしたら当の巨人ファンではなく、阪神ファンかもしれません。その逆もまた同じでしょう。

ライバルとして認め合っている、というと美しいのですが、相互にとって「快感の素」「ドーパミンの湧き出る泉」として、麻薬的に依存している関係でもあるのです。

また、この対立構造のなかには、もう一つ根の深い問題が潜んでいます。

東京ドームで、みんなが巨人のユニフォームを着て応援しているなかに、阪神のユニフォームを着て入っていくのはなかなか勇気のいることです。逆のパターンもまた同様でしょう。

なかには喧嘩をふっかけてくる人もいるでしょうし、マナーをあれこれ言われてしまうかもしれません。トラブル防止のために、特定のエリアでは他チームのユニフォームの着用自体が制限されている例もあります。いくら心の中で敵対心を持っているとしても、実際に対立する相手集団のなかにあって、一人だけ違う行動をとるというのは、なかなか心理的に負担の大きいことです。

周囲の行動に合わせなければいけない(逆らうと恐ろしいことが起きるかもしれない)と感じさせる環境要因のことを「同調圧力」と言います。いわば、集団のなかで少数意見を持つ人に対して、多数派の考えに従うよう暗黙のうちに強制してしまうことです。

この同調圧力を強く実感したのが、先のコロナ禍でのマスク着用問題ではないでしょうか。

感染拡大防止のためにマスク着用が推奨されましたが、義務ではないので着けるか着けないかは個人の判断でした。しかし、マスクをしていない人には非難の目が向けられ、その人たちを罵倒するような過激な「マスク警察」も登場しました。

同様に、不要不急の移動を自粛するように呼びかけられている時期には、他県ナンバーのクルマを目の敵にして、嫌がらせをするなどといった行為も見受けられました。SNSなどで繰り広げられていた正義中毒が、広く社会で認知された時期でもあったと思います。

「自分には偏見がない」と公言する人たちであっても、自分と価値観が異なる人といざ対してしまうと、自分も非難されてしまうかもしれないという思いを振り切ることは難しいものです。その不安や恐怖を振り切って、「それぞれの価値観を尊重しよう!」と擁護できるかというと、正直なかなか勇気のいるところではないでしょうか。

 

著者紹介

中野信子(なかの・のぶこ)

脳科学者

1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所に博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。現在、東日本国際大学教授。

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