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「徹子の部屋で、一度も同じ洋服を着ていない」 黒柳徹子さんが衣装に込める想い

黒柳徹子(俳優)

2024年09月16日 公開 2024年12月16日 更新

「徹子の部屋で、一度も同じ洋服を着ていない」 黒柳徹子さんが衣装に込める想い


写真:下村一喜

同一司会者によるトーク番組の最多放送回数世界記録を更新し続け、これまでギネスに3度も表彰されている「徹子の部屋」。1976年に番組がスタートして以来、黒柳徹子さんが、ずっと大切にしている想いがあります。本稿では『本物には愛がある』より、黒柳さんが番組で毎回衣装を変えている理由についてご紹介します。

※本稿は、黒柳徹子著『本物には愛がある』(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

「徹子の部屋」で洋服を毎日変える理由

「徹子の部屋」で洋服を毎日変えるのはどうしてだっていう話がよくあるんですけど、あれはね、最初のころ、同じ洋服だっていいじゃないかと思っていたんです。

ただ、耳の聞こえないデザイナー志望の方からお手紙をもらってね。「私、デザイナーになりたいので、毎日あなたの洋服を見て勉強しています」っていうのを読んで、「大変!」って思って。やっぱり、そういう方がいらっしゃると。

それからお父様の介護をずっとしていて、「あなたのお洋服が楽しみです」というお手紙なんかいただいて、できる限り洋服は違うものを。靴や何かは同じことがあるんですけど、ゲストの方に、あなた様にこの洋服を今日、用意してまいりました、っていうふうな態度をお見せする。頭もグチャグチャ、洋服もグチャグチャで、さあ話してくださいって言っても、それはなかなかねえ。

男の方で、ちょっとお口が重そうな方のときは、この方の奥様はどんなものをお召しだろうって想像して。あまり突飛なものだと、びっくりなさるといけないから。

お洋服は全部自分で考えて着ているんです。そうすると相手の方も、あ、自分のために着てくれているとかね。そんなことでも、心を開いてくださるきっかけになると思います。

 

偶然が重なって俳優になったスターたち

それから、どんなに親しい方でも下調べをしてもらいます。どんなに親しくても、なあなあにならないように、そこはね。まあずいぶん、なあなあな人もいますけど、でも、やっぱりそこはちゃんと尊敬しているっていうことを表す感じで。そういうふうにして、面白いお話を聞く、というのが、やっぱり大事だと思います。

――延べにすると、すごい数のゲストですよね。たくさんの人と接してこられた黒柳さんから見て、人を惹きつける魅力を持っている人に共通した部分とは、どうなんでしょう?

やっぱり、生き生きしていらっしゃる方ですね。それから、やっぱり自分の仕事が好き、いまやっていることが好きという方だったり、ユーモアがある。「徹子の部屋」に来てくださるような方々は、何かそういうものを、みなさん、持っていらっしゃるから長続きしているって言えると思います。

私が「徹子の部屋」をやってわかったことはですね、自分が選んだ職業ではなくて、何かの加減でこうなっちゃったっていう方が本当に多いということですね。

歌舞伎の方たちとか伝統芸能の方は別ですが、いまの若い方はテレビをご覧になって、「こういう人になりたい」っていうことでなっていらっしゃるんですけど、昔の方は、戦争や何かがあって、もう食べていけない、何かないかなと思っていて、俳優になった、とか、そういうのは枚挙にいとまがないです。

たとえば三國連太郎さんは、戦争から帰って来て仕事もないし、お金もないので学校のときのお友達がね、ペニシリンか何かの会社を、築地の向こうでやっている。そこの会社に入れてもらえないかと思って行く途中、信号待ちをしていたんですって。

松竹が後ろにあって、そうしたら松竹の木下惠介監督が、主役がいなくて探していて「あなた、俳優になりませんか?」と言われて、「月給いくらです? あっちでもらえそうなのよりも、高ければ行きます」と答えたら、「もっと出すから」って言われて、俳優になったとかね。

 

迷いのあるほうが、仕事は案外長く続く

三船敏郎さんも仕事がなくて、カメラをやったことがあるからカメラマンを募集しているそうだからと聞いて東宝に行ってみたら、「やっていないから、ニューフェイスに行ってください」って言われて、ニューフェイスに行って。

で、「笑ってください」とか言われたけど、「そんな、笑えって言われたって笑えない」で、もうだめで帰ろうと思ったら、その中の監督のお一人が、ちょっと呼び戻してって。

三船さんは駅でね、来た電車に乗らなかったんですって。それでね、どうしようかなと思っていたら「もう一度、戻ってください」って言われたんです。

あのとき電車に乗っていたら、いまの三船敏郎さんはなかった。そういうふうに何か不思議な、自分がなりたくてなったわけじゃない、けれどなっちゃったっていう方が多いんですね。

だからね、「これでいいだろうか......」って、私、自分がそうだったからわかるんです。自分に才能はないんじゃないかとか、できるかなって、そういう疑問があって。

本当にスターになりたくてなったわけじゃないものだから、やっぱりこれでいいのかなっていうのがいつもあって。そういうものがあったほうが案外長く続くっていうことが、「徹子の部屋」をやってわかりましたね。

 

【黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)】
東京生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍する。1976年にスタートした「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)の放送は、同一司会者によるトーク番組の最多放送回数世界記録を更新中。1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』は、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーとなっている。2023年には、その続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』が刊行された。1984年からユニセフ親善大使となり、延べ39カ国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子どもたちを支える活動を続けている。

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