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“世間様”の文化を忘れていないだろうか…大切にしたい「日本の美徳」

徳川恒孝(徳川宗家第18代当主)

2012年10月11日 公開 2023年01月05日 更新

徳川恒孝

日本には"世間様"の文化が、古くから根強く存在する。加えて、"自然"と"家"という要素を大切に暮らしてきた。

しかし、近年その日本の美しい文化が薄れつつあるのではないだろうか。人への優しさや美徳が失われ、世間体ばかりを気にしたキリキリとした風潮が目立つようになったのではないか。徳川宗家第18代当主の徳川恒孝氏が、現代の日本社会についての疑問を語る。

※本稿は、『日本人の遺伝子』 より、内容を一部抜粋・編集してお届けします。

 

「世間」という社会基盤

長い日本の歴史がようやく本当に安定して、日本独自の文化がしっかりと出来上がった江戸時代に、その社会を支えた柱の1つは「世間様」の文化でした。

「こんなことをしては世間様に申し訳が立たない」
「でも、世間体というのがあるでしょう?」
「世間並みに暮らしたいと思います」
「渡る世間に鬼はないと言いますが……」
「そんなことしてると世間の笑い物になるよ」
「世間話に花が咲いて……」(先ほどの女性たちのことと思いますが)
「ウチの子は世間知らずで……」
「あいつは世間擦れしてるから、あまり信用しない方が良くはないか?」

などなど、沢山の言葉がありますが、こうして見ると「世間」というのは、どこにも、なにも書かれてはいない1つの強い平等な社会基盤であって、その時々の日本人が「これが我々の社会基準であり、社会規範である」と感じてきた「強いもの」であることが解ります。

一方「世間」よりもっと古くから日本の社会の太い柱になっていたのは「家」という大変強固な概念です。

今さら説明するまでもないと思いますが、明治になるまでの日本には「日本国」という概念は外交を担当する幕府の一部の人々を除いてはほとんどどこにもありませんでした。

あったのは「お国」の伝統と、そこに根づいた「家」、「先祖――祖父母・両親・自分」という長い時間を掛けてつくられてきた強い概念で、これが社会の中央にしっかりとした「縦軸」としてありました。

その縦軸の社会に、さらに社会の平面の広がりとして先に述べました「世間」という社会そのものの強い概念があって、縦棒(家)と基盤(世間)の組み合わせで、日本の社会全体が出来上がっていたように思います。

視覚的イメージとしては広い「世間」が広がっていて、そこに無数に「家」という柱が立っている。長い柱や、太い柱もある(圧倒的に太く高いのは天皇家の柱です)。

ちょうど天気予報の番組で、各地の降雨量を示す棒グラフが地図の上に立っているのが、もっと細かくなって無数の「家」の柱が日本中に広がって立っているようなものです。

この構造の中には、日本以外の多くの、とくに西欧の文明が持っている宗教の強い支配力は見えません。

いろいろな俗世の争いを超えたところに、それぞれの人々(人種やグループ)が信じる、異なった「神々」がいて、その神々の争いで人々が何千年も殺し合ってきたのが日本以外の多くの文明の歴史ですが、日本の戦は原則的に「人々」の争いであり、それもほとんどの場合権力者同士の戦いでしたから、普通の人々が神の意向によって憎み合って殺し合ったものではありません。

むしろ日本では、宗教(神様・仏様)は社会の規範である縦軸の「家」(それに属する個人たち)と、その基盤である「世間」の広がりを融合させ、無用な争いを避けるという大切な機能としてあったように思われます。

社会全体を圧倒的な強い力で支配する他文明の「神々」のパワーは、日本の始まりから今日に至る我々の社会には見られないものでした。

ここが世界と日本の大きく異なる点だと感じています(おそらく唯一の例外は江戸末期に芽生え、明治時代から大きく成長して昭和の戦争に利用された、天皇の神格化による「神の国日本」の思想ですが、これは日本の長い歴史の中では極めて稀な例外だと思います)。

日本には他文明の「神」に変わるものとして「自然」があり、そこに「世間様」(社会)と「家」というものがあって、人々はこの3つの要素を大切にして暮らしてきました。

この「世間様」という社会律はなかなか人間臭いもので、時代と共に少しずつ変化していき、その時の流れの中で各家、各人が「世間様」の中での「善」と「悪」の判断をして、そこに許される範囲の「利」の判断を加えることで、社会全体の人々が納得することができるような、誠に柔軟な社会律だったように思います。

(もともとこの「家」の概念が強かったのは、東国の方だったようです。本家を中心に分家が集まって強い紐帯で「家」が結びつき、いったん事が起これば一族が結集して戦いに臨むのは東国の武士団でした。

一方、西国の武士たちは、一族の結束よりもむしろ「利」「理」を追ったようですから、同族が2つにも3つにも分かれて戦うことも日常だったようで、ここでも縄文系の東の文化と弥生系の西の文化の相違があったように思います)。

日本に永住した外国人が、「日本には宗教の目に見えない重圧がないことがなによりも素晴らしい。開放感に満ちた国だ」と言われたことを聞きました。

たしかに現代の私たちには「宗教が異なるために憎み合う」という感覚は全くありません。また厳しく生活を縛る宗教もありません。これは日本以外の世界で育った方々にとっては、本当に素晴らしい「開放感」であろうと思います。

一方、外国の人々にはなかなか見えないところに、日本の社会を支える「世間」と「家」という概念があったと思っています。

その2つが現代の日本から消え去りつつあるのは致し方のないことかも知れませんが、その穴を埋める社会の「核」のトような、皆が受け入れるような「社会律」が見当たらないで、残っているのが「警察に捕まらなければなんでもやり放題」で「お金だけが大切な生き方」という社会であるとすれば、これは本当に困ったものです。

私はそんな国にお目に掛かりたくありませんが、一方では社会の無言の支えであったものがすっかり形式化して、かえって「右へならえだけしておけば良いのでしょう?」ということになってしまうのも、困りものだと感じています。

「社会律」という言葉を使いましたが、これは1人ひとりの心の問題であって、心の入っていない「形だけ」のものになってはかえって「いやらしい」ものになってしまうとも思います。

幼稚園の子供たちに「知らない人に話しかけられたら、決してお話をしてはいけません。すぐにお父さん、お母さんのところに戻りなさい」と先生が教え、子供たちが一斉に「ハーイ」と可愛らしく答えているところをテレビで見ますと、とても悲しくなります。

これでは、きちんとゴミをゴミ捨てに捨てている子供に「偉いね」と声を掛けることも、いたずらをしている子を「こらっ!」と叱ることもできません。その度に恐ろしい目つきで母親に睨まれるのでは堪りません。寂しいことです。

これからの日本の文明を支える道徳律が何になるのかよく解りません。今までの「世間様」というような、むしろ「世間の目」を気にするような受け身の社会律ではなく、人々が前向きに力を合わせて「良い社会をつくっていく」というものになってくれることを祈りますが……。

そんな中で「自然を大切にする」という日本古来の感覚はこれからもますます重要な、いわば社会の真ん中に立てる「大きな大きな柱」になると感じています。

その自然を守っていくということの1つに、いま一番「熱い」話題である原子力の問題や、電力の問題も入ってくると思っています(ちょっと広がり過ぎている、とお考えの方もおられるでしょうが、問題の根本のところは、まさに同じであると思います)。

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