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日本人の根本的な世界観である「アニミズム」の本当の意味



2020年11月20日 公開

小倉紀蔵(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)

小倉紀蔵氏

日本の中心的な世界観を「アニミズム」と見なす論者は多い。その一方で、「アニミズム」ほど広く誤解されている思想的概念は少ない。東アジア思想の研究家が説く、アニミズムの本当の意味とは?

※小倉紀蔵『群島の文明と大陸の文明』より一部抜粋・編集したものです。

 

日本人は自然と調和しているのか?

そもそも、日本という群島を思想的・宗教的・世界観的に特徴づけるものは、なんでしょうか。論者によって、多様でばらばらでしょう。

江戸時代には「もののあはれ」(本居宣長)がありましたし、戦前は「皇国」(戦前のイデオローグたち)がありましたし、戦後になると「タテ社会」(中根千枝)、「通奏低音」(丸山眞男)、「雑種文化」(加藤周一)、「縮み志向」(李御寧)、「無思想」(加藤典洋・養老孟司・内田樹など)など、多くの有名な日本論が出ます。

そのなかでも、日本の中心的な世界観を「アニミズム」だと見る文化論・文明論は多いのです。たとえば中村元、梅原猛、岩田慶治、安田喜憲などの論があります。それぞれ大変におもしろく有益なものですので、みなさんご興味がありましたらぜひ読んでみてください。

また、「アニミズム」論の変奏として、「山川草木国土悉皆成仏」というスローガンがあるとされ、これが「天台本覚思想」(すべてのものは仏性を持つという天台宗の思想)だとされ、特に2011年の東日本大震災以降、一種の流行のように唱えられているものです。梅原猛さんもこれを強く唱えました。

これらの論は、主に日本人の自然と調和する精神性を、「アニミズム」という生命観に見いだそうとしているという点で軌を一にしています。

だが、これらの「アニミズム」論に対する反論ももちろん多いのです。公害や自然破壊を繰り返してきた日本人が、どうして「自然と調和する本性」を持っているといえるのか。

それは高度成長期の一時的な「あやまち」に過ぎなかったとほんとうにいえるのか。これが、「日本=アニミズム」論に対する根本的な批判でしょう。

そもそも、この手の論に出てくるのはいつもデカルトです。「西洋はデカルト以降、精神と物質を完全に二分して、自然は単なる物質なので破壊・開発・収奪してかまわないという暴力的な世界観が生まれ、そのようにした。

それに対して日本では、つねに人間は自然とともに、自然のなかにあるのであって、そこに截然たる区別はない。これほど自然が破壊され、地球が悲鳴をあげているいま、もともとの日本のアニミズム的な世界観に還るべきだ」。

文言に多少の違いはあれ、この手の「日本=アニミズム」論はたいてい、このような議論のパターンをとります。それらはおそろしいほど、同型の認識を示すのです。

この手の議論が間違っているわけではないと思います。しかし、ここにあらわれている日本中心主義は、克服されなければならないと思います。

前にも述べましたが、つねに「日本と西洋」あるいはせいぜい「日本と西洋と中国」という比較の軸しかないと、実は日本のことはよくわからないのです。

 

韓国人から見れば、日本の庭は不自然なつくりもの

たとえば、日本人の多くは、「伝統的な日本の庭というのは、自然との調和という意味でとてもよい事例である」と考えているでしょう。

そのときに比較の対象となっているのは、たとえば日本の枯山水とフランスのヴェルサイユ宮殿の庭であるわけです(この比較自体がほんとうは無理筋なのですが)。あるいはそこに中国の庭を入れてもよいでしょう。

比較の対象がここまでだと、「日本の庭=自然との調和」という命題が成り立ってしまうかもしれません。だが、たとえば韓国を比較の対象に入れてみると、別の見方ができるようになるかもしれません。

韓国人から見れば、日本の庭というのは、「いま床屋に行ってきたみたいな不自然で極度に人工的なつくりもの」に見えるのです(崔淳雨[チェ・スヌ]という韓国の著名な美術史家がそういうことをいっています)。

韓国の庭は、日本の庭よりももっとずっと極端に「自然そのもの」に近いのです。木をきれいに刈り込んだり、人工的な意図を強烈に反映させたものの布置などはしません。

はたして「日本人は自然と調和する」という命題は真でしょうか、真ではないのでしょうか。

わたしの結論からいえば、「NO」です。

だからといって「日本人は自然を破壊しまくるひとたちである」といおうとしているわけではありません。高度成長期の一時期、そういうひとたちも増えたわけですが、そのような「自然の破壊・収奪」が日本人の本性だということはできません。

しかし他方で、「日本人は手つかずの自然そのものと調和する世界観を持ったひとたちである」とは到底いえないのです。

文明史家のジャレド・ダイアモンドは彼の著『文明崩壊』で、日本は徳川時代に森林の管理を実にきちんとやったので、森林破壊という決定的な文明破滅要因を回避できた、と高く評価しています。

しかしこれも、「徳川時代の日本人は原生林という自然のなかでそれと調和的に生きたひとたちだった」といっているのではなく、「徳川時代の日本人は自然を徹底的に人工的に管理したからすばらしかった」といっているのです。

つまり、そこで「森林」と呼ばれているものはすでに「自然」そのものではありません。むしろ日本人にとって、「自然」とは、人工的に管理すべき対象だったのです。

それはなぜなのか。

ここに、わたしのいう〈アニミズム〉という考え方が出てきます。〈〉でくくられたこの〈アニミズム〉は、ふつうに考えられているアニミズムとは、まったく異なるものなのです。

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