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マネージャーが発せるのは「立ちなさい」のみ...リーダーのあるべき姿に気づける研修の中身

早川勝

2025年07月25日 公開

マネージャーが発せるのは「立ちなさい」のみ...リーダーのあるべき姿に気づける研修の中身

メンバーへのアプローチをほんの少し誤っただけで、すぐにハラスメント疑惑となっていく、チームリーダー受難の時代。
いまリーダーに求められているのは、腰の引けた甘い「やさしさ」ではなく、"適度な距離感"を保つことのできる「覚悟と愛情」ではないでしょうか。

生命保険業界において、トップクラスの営業組織を築き上げ、30年以上の長きにわたりマネジメント教育の最前線に立ち続ける早川勝さんに、その実体験に基づいたリーダーとしてのあるべき姿に導く「立ちなさい!研修」について解説して頂く。

※本稿は、早川勝著『覚悟を決めたリーダーに人はついてくる』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。

 

「立ちなさい! 研修」の真意と新たなる気づき

私が営業本部のエグゼクティブ・トレーナーを兼務し、支社長や営業所長、新任のマネージャーたちへ研修を実施してきたなかで、もっとも学びの深かったトレーニング法である。

その名を「立ちなさい! 研修」という。

それを欧米では「スタンドアップ・ゲーム」と呼ぶらしいが、日本国内でも、その昔から自己啓発セミナーなどでプログラムされていた研修のようだ。それを早川流にアレンジして行ったのがこの「立ちなさい! 研修」である。
いったいどのようなトレーニングなのか?

まず、研修室に自由に動ける広めのスペースをつくり、椅子だけを5~10個ほど並べる。
その椅子には、われわれトレーナー陣や本部関係者が座る。横並びに配置されたスタッフの前に、研修生(マネージャー)が一人ひとり交代でアプローチを仕かけ、着席している「全員」を椅子から立たせるゲームである。

マネージャーが発する言葉は、「立ちなさい」に限定。それ以外の言葉はけっして発声してはいけない。また、座っている人の体に触れたりしてもいけない。そして、座っている人たちが「立ちたい」と思わせるように働きかけるのである。

素直な気持ちで「立ちたい」と思えたら、座っているメンバーは立つ、というルールだ。なんとなくとか、同情で立ったりしてはいけない。ただ単に、「立ちなさい」と言われたから立つのではなく、本当に、心の底の底から「立ちたい」と思わなければ。私たちスタッフはずっと座ったままである。

これはいっけん簡単なようで、じつはなかなか難しい。まず、「立ちなさい」という言葉が、命令形である点だ。「立ってください」など、別のやさしい言い方に変えてはいけない。もちろん、相手の名前を呼んだり、「ぜひ...」や「お願いします」など、余計な言葉をつけ加えたりすることは違反になる。

そのルールは厳格に遵守してもらう。

ただ、声の強弱やイントネーション、ジェスチャーなどは、身体に触れなければ、どんなに工夫を凝らしてもかまわないという決まりなので、マネージャーたちも、あの手この手でいろいろ試してくる。このあたりは個性が発揮されるため、おもしろい余興の要素もあって盛り上がる。

取り組むマネージャーたちは、数分ずつで代わる代わるチャレンジしていくわけなのだが、着席している「メンバー全員」を一人残らず立たせなければいけないため、短時間(数回)ですぐにクリアできるマネージャーは皆無である。多くの挑戦者が四苦八苦、七転八倒することとなり、誰もがいき詰まる。椅子に座っているメンバーへ向かって、「立ちなさい!」「立ちなさい!」の言葉を繰り返し絶叫するはめになるのだ。

その過程を何度も見てきた私は、ある一定のパターンを経てゴールへたどり着くことに気づいた。
そう、優秀なマネージャー陣は右往左往し、悪戦苦闘しながらも、最後には「気づき」を得て、全員を立たせることができるのだ。ただし、そこへ行き着くまでには過酷な試練が待ち受けているのである。

よく陥りがちな失敗例として、たとえばはじめは、そのまま上から目線で偉そうに「立ちなさい! 立ちなさい!」と命令するパターン。さらにエスカレートすると、立たないメンバーに対していらだちを隠せず、ときには怒りを爆発させるマネージャーも少なくない。

座っているこちらサイドとしては、ときに怖くて立ってしまいそうになることもあるが、それではルールに反するので、下を向いて我慢するだけ。むしろ、嫌な気持ちになり、とてもじゃないが「立ちたい」という気持ちにはなれない。

次に陥ってしまいがちな誤ちが、今度は逆に、マネージャーが下手に出て、「(お願いですから)立ちなさい(立ってください)」というスタンスに変化してくるパターンだ。ほぼ例外なく、"その道"をたどるので笑ってしまう。なかには、全然立つ様子のない目の前のメンバーに向かって、土下座まではじめるマネージャーもいるほどだ。

「まあ、なんだか、かわいそうだから立ってあげようかな」と、哀れみと軽蔑の入り混じった感情から、立つ気にもならないこともないが、お願いされればされるほど、やはり立つ気にはならない。 

脅しても、頭を下げても、いっこうに立つ気にならないメンバーに対して、今度はご機嫌をとってくるアプローチがはじまる。パントマイムをやったり。いろんなギャグや物まねをジェスチャーで楽しませてくれようとするのだが、だからといって「立ちたい」とも思えない。

こちらとしては、なんだかバカにされているような気にもなってくる。これまた、とてもじゃないが立つ気にはなれない。
にもかかわらず、いざ小手先のテクニックに走ってしまうと、そのドロ沼からなかなか抜け出せないマネージャーも後を絶たなかった。

そうして、何度も何度も選手交代で進めていくうち、2~3時間も経過してくると、段々と気づきはじめるマネージャーが現れる。

そう、人の心を動かすのは「情熱」だということを、だ。そして、徐々に情熱的な「立ちなさい」パフォーマンスは最高潮に達してくる。「立ちなさい!! 立ちなさーい!!! 立ちなさーーい!!! 立っちな~さ~~い!!!」と、ミュージカルスターのような迫力と、人生や仕事を心から楽しんでいるかのような人間味をさらけ出す。そう、自分の殻を破った瞬間でもある。

そうなると、なんだか私たちも「立ってもいいかな」という気にもなってくるから摩訶不思議だ。
ここまできたら、あと一歩なのだが...。
さらなる最後の"決め手"がほしくなる。まだ心の底から、本当の意味で立とうという気にはなれないのはなぜなのか。

やはり彼らマネージャーが自分の都合で立たせようという、あざとさを感じるからだ。研修のゴール・目的である「立たせなければいけない」という彼らの思惑に対し、どうもやはり、内向きな意図を感じる。どうしてもその違和感が消えないのだ。そう、「オレのために立ってくれ」では、まだ立つ気にはならない。

最後にはやはり、「For me」ではなく、「For you」の精神・姿勢なのだろう。目の前に座っているメンバーに対して、本心からの「あなたのために」という思いをぶつけていく「立ちなさい!」がメンバーの心に届いたとき、ブレイクスルー(限界突破)が起こる。

メンバーに気持ちよく立ってほしい、仕事を楽しんでほしい、もっと元気になってほしい、幸せになってほしい、という心からの強い思いだ。
それがピークに達して伝わったとき、人のハート(魂)は動くものらしい。

メンバー全員が、「感動の嵐」とともに立ち上がる。ときには涙も流し、仲間とハイタッチをしたり、抱き合ったりという、名シーンが生まれてきたのだ。

かつて何十回とその場面に遭遇してきた私が証言する、実話である。

心技体ともに負荷のかかる相当ハードなトレーニングでもあり、一生懸命な彼らの姿を見た私自身、感動の涙を流したことは一度や二度ではなかった。
理屈ではわかっていても、体験しなければわからないこともある。よって、そのような擬似体験をとおし、身をもってリーダーの大切な本質を学んでもらうため、この研修を実施してきたわけだ。

そこで、よく考えてみてほしい。もしこれが「立ちなさい」という言葉ではなく、「仕事をしなさい」とか、「働きなさい」とか、「早くやりなさい」だったらどうだろうか。

営業であれば、「もっと売りなさい」だったらどうだろうか。
「売りなさい」「売りなさい」と命令されればされるほどモチベーションは下がっていくにちがいない。

そして、マネージャーから高圧的に仕事を押しつけられたり、業務をお願いされたり、一方的に向こうの都合だけで指示されたら、動機づけられることもないはずだ。
上司からの命令だからやらざるを得ないかもしれないが、本当の意味で"やる気"にはならない。

そもそも、マネージャー経験者からすれば、そんな本質については、言われなくても百も承知だろう。
にもかかわらず、いざ「立ちなさい! 研修」に臨んでみると、すぐに正解へと行き着くことができない。
だからそこに、「新たなる気づき」が生まれるのである。

リーダーシップとは、理屈や口先ではなく、行動や態度なのだ。
まさに、覚悟を決めたリーダーの「あるべき姿」がそこにある。

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