人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか?
本稿では、「いい選択」をするための日頃から習慣化すべき「こだわらない」ということについて、哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「こうあるべき」にとらわれると、視野が狭くなる
みなさんは「こだわり」を持っていますか?
「こだわり」という言葉に「信念がある」「自分の軸を持っている」など、ポジティブなイメージを持っている人も多いかもしれませんが、ここでは、こだわりという言葉は「●●は××であるべきだ」といった固定観念のことを指しています。
たとえば、問題に直面したときや新しい環境に適応しなければならないとき、柔軟に考え多角的に状況をとらえるのではなく、「これが正しい」「こうでなければならない」などと、既存の自分の中の基準に固執してしまうこと。
それが、「こだわりが強すぎる」状態です。
中でも「自分が特別であること」へのこだわりは、判断を狂わせ、人を苦しめます。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970)は、著書『幸福論』の中で、人が不幸になる原因の一つとして「ナルシシズム」を挙げ、「ナルシシズムは、ある意味では、常習的な罪の意識の裏返しである」と述べています。
ナルシシズムとは自分へのこだわりであり、「自分はこうあるべきだ」という思い込みに囚われ、完璧を求めすぎてしまうことです。
そしてラッセルは、ソーセージ製造機のたとえ話を紹介しています。
あるところに、豚肉をおいしいソーセージにするために作られた2台のソーセージ製造機がありました。そのうち1台は、黙々とソーセージを作り、人々に提供し続け、その働きはしっかり評価されていきました。ところがもう1台は「おいしいソーセージを作ることができる私は素晴らしい」自分に酔いしれ、ソーセージを作るのをやめ、結局はただの錆びた金属の塊になってしまいました。
このたとえ話は、「自分にこだわり始めると不幸になる」ことを示しています。
ソーセージ製造機の価値は、ソーセージを作って人に提供することにあり、それをやめて自分に酔うだけでは、ただの動かない機械になってしまう。自分を特別な存在だと思いすぎると、苦しむことになるのです。
私たち人間も周りの人々と共に生きています。だからときには妥協し、相手のことを理解し、今、何をすべきかをきちんと考えて行動することが大事です。
しかし、自分へのこだわりが強すぎると、周りが見えなくなり、冷静にいい選択をすることもできなくなってしまうのです。
成功と幸福はイコールではない
日本の哲学者である三木清(1897~1945)は、著書『人生論ノート』の中で「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった」と言っていますが、「成功しないと人間はダメだ」と思い込んで、失敗を恐れるあまり、ほかのことができなくなってしまう人も少なくありません。
私たちは「成功しなければならない」「特別な人間にならなければいけない」と思い込んでしまいがちです。
成長の過程で親に「あなたは特別よ」と言われたことや、学校や競争社会の中で「一番になることがいい」「人と違うことがいい」と思わされたことなどが、その背景にあるかもしれません。
しかし、それが自分へのこだわりを生み、苦しみとなります。
完璧なものなど、そう簡単には手に入らないのに、「こうあるべきだ」という完璧な理想にこだわると、ずっとそれを求めて苦しむことになるのです。
まるで「青い鳥症候群」のような状態です。
そして、競争に勝つことや成功することを求められ、そこに応えようとしすぎると、本当はほかの道もあるのに、それが見えなくなってしまうのです。
「なんでもあり」の時代の可能性について
実は、「成功したい」という思いには、存在への不安、つまり「何者になればいいのか」「どう生きていけば正しいのか」「生きていると言えるのか」といった根本的な不安が潜んでいます。
特に今の時代は、「成功」の形が見えにくくなっています。
ちょっと前なら、「IT企業の社長になって六本木のタワーマンションに住む」とか「FIRE(早期リタイア)を目指す」といった、はっきりした成功モデルがあり、そこを目指すことが、自分の存在意義にもなりえました。
でも今は、そういった成功者の突然の没落を目にすることも増え、「本当にそれが幸せなのか?」という疑問が生まれ始めています。
こうした疑問が生まれる状況は、決して悪いことではありません。
新しい価値観を模索する時期が社会には必要であり、「なんでもあり」の時代だからこそ、可能性は広がっているともいえます。
実際、田舎に移住する、給料は低くても好きなことをして生きていこうとするなど、新しい価値基準で新しい時代を生きる人も増えています。
たとえばイギリスの哲学者アイリス・マードック(1919~1999)は、『アイリス・マードック随筆・対談集』の中で「高望みをする野心家であるよりは、ささやかな仕事ではあっても心を込めてその仕事に打ち込む方が立派です」と述べています。
たしかに、高望みをすることで、自らが苦しむだけでなく、結果的に他者や社会に迷惑をかける人たちは少なくありません。反対に、どんな仕事であっても、自分自身が満足し、その仕事に打ち込んでいる人は幸せに見えます。
だからマードックは、貧しすぎなければ、平凡が一番幸せだと結論づけているのです。これは新しい時代を生きるためのヒントかもしれません。
「自分が特別であること」にこだわるのではなく、ただそこに存在することの意味を感じながら生きることが大事なのです。
変化の時代はたしかに不安定です。そこで大事なのは、古い価値観に縛られすぎず、かといってすべてを投げ出すのでもなく、新しい可能性に目を向けていく勇気です。
こだわりから解放され、より柔軟な視点を持つことで、私たちは、自分なりの道を見つけ、いい選択ができるようになるのです。







