女性皇族として初めて海外で博士号を取得された彬子女王殿下。その英国留学記『赤と青のガウン オックスフォード留学記』は「プリンセスの日常が面白すぎる」という一般読者のX投稿をきっかけに話題となり、瞬く間にベストセラーとなりました。
幼少期からスキー場に連れていかれ、物心ついたときには足を揃えて滑れるようになっていたという彬子女王殿下。美しいフォームで滑られる父宮様との思い出が綴られたエッセイをご紹介します。ほしよりこさんの絵とともにお楽しみください。
※本稿は、彬子女王 著、ほしよりこ 絵『飼い犬に腹を噛まれる』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
ゲレンデの教え
ドイツ語で、自然のままの地形のことを「ゲレンデ」と言い、圧雪された滑走斜面のことを「ピステ」と呼ぶ。
学習院大学スキー部卒業と自称してはばかられなかった父は、私に子どもの頃から「きれいに整地されたスキー場で滑るのは、ゴルフの打ちっぱなしで練習するのと同じ。ゴルフもコースに出てラウンドしなければ意味がないように、スキーも山を登って自然の斜面を滑れなければ、本当にスキーができるとは言えない」と言い続けられた。
1歳2カ月で初めてスキー場に連れていかれ、物心ついたときには足を揃えて滑れるようになっていた私も、「ゲレンデ」というものは特別なのだという意識を自然と持っていたように思う。
父は新雪を滑るのが本当にお好きだった。夜のうちに雪が降り積もった日などは朝からご機嫌だったし、圧雪された斜面の横に少しだけ残った新雪も見逃さず、きれいなシュプールをつけられた。「ヴンダバー!(ドイツ語ですばらしい)」などと叫びながら、雪煙を上げて滑り降りていかれる。後ろ姿しかこちらには見えないけれど、少年のような満面の笑みを浮かべておられるのは明らかである。
私も人並みの子ども以上には滑れたけれど、新雪斜面は斜度が急であることも多く、どうしても腰が引けてしまいがち。新雪でもアイスバーンでもこぶ斜面でも、全く変わらない美しいフォームで滑られる父の姿は憧れでもあった。
父の言葉を心の底から理解することできた

初等科の高学年になった頃だっただろうか、父が「中学に上がったら、おまえも八甲田に連れて行ってやる」と言われるようになった。
父は毎年4月の中旬に、スキー仲間たちと1週間以上八甲田に山籠もりをされていたが、一度もその旅に同行を許されたことはなかったから、ついに私も一人前のスキーヤーとして認められるまでになったのかと、とてもうれしかった。中1の年は、残念ながら喘息で入院していたため行くことができなかったが、翌年ロープウェーの山頂公園駅に降り立ったときは、バンザイ! と叫びたい気持ちになったものだ。
もちろんここからが始まりである。大岳、小岳、赤倉岳だけなど、日によって様々な山に、滑り止めのシールをスキーの裏につけて、ひたすら登る。向かい風が強い日などは吹き飛ばされそうになるし、ひとつの斜面でも雪質が変わるので、何度足を取られて転がり落ちたかわからない。
でも、最初は何を言っているのかほとんど聞き取れなかった津軽弁のガイドさんが、山の中腹で作ってくれたお蕎麦やホットアップルジュースのおいしかったこと。雪の表面だけが凍った、きらきらと輝くフィルムクラストの斜面を滑り降りたとき、シャラシャラシャラーと後から追いかけてくる音のなんと気持ちがよかったことか。ゲレンデを滑れないと意味がないという父の言葉を心の底から理解することができた。
ちなみにこの八甲田、側衛からはすこぶる評判が悪い。自分の思うように滑れないことにプライドを傷つけられるらしく、体の拒否反応で咳が止まらなくなった人もいるくらいだ(東京に着いたら咳はぴたりと止まったらしい)。次回付いてきてくれるのは誰になるだろうか。







