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「芋けんぴで人を刺す描写」どう訳す? 柚木麻子が野間出版文化賞受賞で語った翻訳者への感謝

PHPオンライン編集部

2025年12月18日 公開

「芋けんぴで人を刺す描写」どう訳す? 柚木麻子が野間出版文化賞受賞で語った翻訳者への感謝


柚木麻子さん

12月17日、第7回野間出版文化賞の受賞式が行われました。講談社創業110周年記念事業の一環として制定された本賞は、書籍や雑誌といった従来の出版の枠にとらわれず、出版にまつわる優れた表現活動を行った個人や団体を顕彰するものです。

今回、同賞に輝いた柚木麻子さんの『BUTTER』は、英ダガー賞翻訳小説部門の最終候補となり、世界的なベストセラーとなりました。日本の小説が持つ可能性を国内外に示した点が、高く評価されています。

本稿では、選考委員を務めた弘兼憲史さんによる選評と、受賞の場で語られた柚木麻子さんのスピーチを紹介します。

 

弘兼憲史さん「エンターテインメント性を失わず、書き切った筆力」


弘兼憲史さん

野間出版文化賞の選考委員を務めた弘兼憲史さんは、『BUTTER』の評価のポイントを語りました。

「この作品のテーマは、日本で起きた有名な事件ですが、その事件を知らない海外の人々に高く評価されて、友情、それから欲望、女性に対する抑圧など様々なテーマを描きつつ、エンターテインメント性をいささかも失わなかった。これだけ書き切った柚木さんの筆力は素晴らしいものがありました」

弘兼さんは、2024年に刊行された英訳版をきっかけに、作品が世界38カ国で翻訳され、特にイギリスで高い評価を得たことにも言及しました。

「海外の評価を持って日本に戻ってきて、日本語の本が売れたという"逆輸入"のような形ですね。先に海外に認められた、そういう作品でありました」

 

柚木麻子さん「帝国ホテルのお料理には良質なバターが使ってあります」

受賞の挨拶に立った柚木麻子さんは、選考委員への感謝を述べたあと、会場(帝国ホテル)に集まった関係者へ向け、式後の立食パーティーについて呼びかけました。

「この会が終わったら立食パーティーが待っています。多分ルール上、食べ物に手をつけちゃいけない人もいると思うんですけど、今日はちょっと食べてみてください」

柚木さんは帝国ホテルの料理について、「良質なバターが使ってある」と具体的に言及。

「帝国ホテルのお料理には良質なバターが使ってあります。動物性のバターです。それか、1階のガルガンチュワ(帝国ホテル内のお店)にはクリスマスの素晴らしいスイーツやブレッドが置いてあるので、ぜひ食べてみてほしいなと思います」

柚木さんは「ホテルのお料理を食べられるから、文学賞のパーティーに出席するのが好き」と語り、ホテルが持つ歴史や料理の味わいについても語ります。

「ホテルには戦後から、もしくは戦前からの歴史があって、どのお料理も20世紀の味がします。貶していません。褒めているんですよ? まだ西洋料理がみんなの憧れだった、そういう時代の味で、もしかすると消えてしまうかもしれない貴重な文化だなと思っています」

最後には、「白身魚のブールブランソースみたいなのがあったら、ぜひ食べてください」と重ねて勧め、会場を和ませました。

 

「8年前とはまったく違う」海外出版がもたらした再評価

BUTTER

スピーチは、作品そのものの歩みへと移ります。

「『BUTTER』は8年前に出版された作品です。1年前に英国で翻訳が出て、日本を凌ぐ売り上げとなり、そこから再評価していただく形になりました。8年前に受けた評価と、今とでは、まったく違います」

その背景には、「8年間で世界が激変した」ことがあるとし、その変化を強く体感していると述べました。柚木さんは、海外での広がりが自身の力だけではないことを強調し、まず日本の女性作家の存在に言及しました。

「村田沙耶香さんをはじめ、氷河期世代を生き抜いてきた同世代の女性作家たちが、先に英語圏で評価されてきました。その流れが、私の本が出版される土壌を作ってくれたと思っています」

続けて、翻訳者ポリー・バートンさんへの感謝も繰り返しました。

「海外で『BUTTER』が評価されたのは、完全にポリー・バートンさんの力です。本当に素晴らしい翻訳をつけてくださいました。実は次に英訳される『ナイルパーチの女子会』(英訳『HOOKED』)には、芋けんぴで人を刺す場面が出てくるのですが、英語ではどう訳すのか、という話になりました。"スイートポテトキャンディー"では人は殺せないと思われてしまう。でもポリーは『もういい訳を考えてあるのよ』と言ってくれていて、それが今からとても楽しみです」

 

「この夏のトップ5」ダガー賞ノミネートが生んだ波及

柚木麻子会場に集まった作家仲間に手を振る柚木さん

柚木さんは、ダガー賞で王谷晶さんと一緒にノミネートされた経験が、国内での売り上げにも影響したと話します。

「ダガー賞に一緒にノミネートされた王谷晶さんのおかげで、国内の売り上げが大幅に伸びました」

王谷さんの受賞が大きく報道されたことで、柚木さんの作品にも注目が集まったとし、夏に読まれた作品を挙げました。

「この夏は、『国宝』と『ババヤガの夜』と私と、『成瀬は天下を取りにいく』と、あともう亡くなっているのに有吉佐和子さんの『青い壺』という、5作品が売れました。トップ5人の中に友達が2人もいる。吉田修一さんとも今日お話したので、もう友達ですね。なので、上位3人が友達という嬉しいことが起きました」と会場を沸かせつつ、「王谷さんのおかげで、私は得をしてしまいました」と、感謝の言葉を重ねました。

 

「対話は避けられても、影響は避けられない」

スピーチの終盤で柚木さんは、あらためて「8年間で世界は激変した」と語り、 その変化を自身が強く体感していることに触れました。

「最初に、8年で世界は激変したとお話しました。 それは、人によってはとても苦しいものだと思います。世界は分断が加速していて、なかなか対話ができないということを実感しています」

一方で柚木さんは、時代の変化は必ずしも対話によって進むものではないのでは、という考えも口にします。

「でも、時代というのは、おそらく対話ではなくて、 お互いがお互いの影響を受けて、いつの間にか醸成されていくものなのかなと、 この8年間の激変を見ているうちに思うようになりました。

正直な話、『BUTTER』を好きではない人もいると思いますし、 自分と思想が違う人の意見を全く受けつけない、という人もいると思います。でも、不思議なもので、同じ時代を生きていると、嫌いなものからも影響を受けてしまったり、 自分にとってこれは毒だ、避けようと思っていても、 不思議と影響を受けてしまったりする。

私たちは、影響をお互いに受け合って生きている。対話は避けられても、影響は避けられないと思います。今回の受賞によって、何かしらの影響が、 また時代を作っていくこともあるのかなと、そんなふうに思っています」

さらに、異なるルーツを持つ人々を排斥する風潮にも触れつつ、 自身の海外での経験を振り返りました。

「私は1年前まで英語がとても苦手でした。しかし、この1年間、いろいろな国に行って本の話をすることで、 英語力が大幅に向上しました」

その象徴的な出来事として、松本清張『点と線』をめぐる英国でのやり取りを、 ユーモアを交えて紹介しました。

「特に『点と線』の話で英語力が鍛えられました。英国では鉄道が時間通りに来ることはまずないので、『あれは偶然に賭けた殺人なんじゃないか』と思われているんです。それに対して私は『何を言ってるんだ、時刻表通りに来るから偶然じゃない、バッチバチのアリバイなんだよ!』と言ったのですが、『でも、すごく昔に時間通り来るのは無理だったんじゃない?』って返されて...『すごく昔だって来るのだよ!』というような話をずっとしていて。そのおかげで、英語力がかなり向上しました」

こうした経験を通じて、異なる文化や背景を持つ人々とも、気持ちを重ねることができたといいます。

「鉄道が時間通りに来ない国、来る国、いろんなルーツの人と、気持ちをいっとき、すり寄せることができました。そういう力が、物語にはあると思います」

 

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