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生き方

人生は、“瞬間の積み重ね” 禅に学ぶ、定命を生き切るための心の持ち方

枡野俊明(曹洞宗徳雄山建功寺住職)

2026年02月25日 公開

人生は、“瞬間の積み重ね” 禅に学ぶ、定命を生き切るための心の持ち方

生から死までの間を一般的に"寿命"といいますが、人の命の長さは生まれた時から定まっていると考える禅では、"定命"といいます。

その定められた命をどう生きるか――。多くの財産を築いたり、社会的な地位を得たりすることを目的にしている方もいるでしょう。ただ、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんは、「その瞬間に、その場所、場面で、自分がやるべきこと、できることを、精いっぱいやっていく」ことが大切であり、それは「よく生き、よく死ぬ」ことにつながるのだと説きます。

本稿では、定命を全うする上で大切にしたい心の持ち方について紹介します。

※本稿は、枡野俊明著『人生は、瞬間の積み重ね』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

“相応の自分”を受け容れる

禅では「苦」をこう考えます。思いどおりにならないことを、思いどおりにしようとするところに、苦しみが生まれる。努力しなくても、歳だけはとる、という言葉があるようですが、歳を重ねるのは誰にも等しく与えられた定め。自分の思いどおりにはなりません。

「いつまでも30歳のままでいたい」「健康な自分でいたい」いくら願ったところで、そうなるはずはないのです。願えば願うほど(思いどおりにしようとすればするほど)、そうならないことで悩み、苦しむことになります。

苦しまないコツはひとつ、定めに抗わないこと、無駄な抵抗はやめることです。ただし、流れにまかせっぱなしにすることと抗わないこととは違います。「もう、いいや......」と身なりをかまわなかったり、身体を動かさなかったり、食事に気を使わなかったりするのはまかせっぱなしです。

抗わないこととは、体力や気力を保つための努力はしていく、食事にも注意を払う、生活を規則正しいものにする、身なりや美しさにも気配りする、といったことはしたうえで、執着しないことです。人は誰でも、(努力、気配りをすることを含めて)その人"相応"に歳をとっていくのですし、それがいちばん自然なのです。

ハダカデバネズミというネズミの仲間の哺乳類がいます。じつはこのハダカデバネズミは老化しないのです。ですから、老衰死することはなく、死ぬのはケガや病気によってです。しかも病気にはなりにくいといいます。

「なんともうらやましい!」そう思いますか。もちろん、現実にはあり得ないことですが、60代、70代になって、見かけが、たとえば、20代、30代である自分を想像してみてください。それが誇らしいでしょうか。うれしい気持ちになりますか。

そうではないでしょう。実年齢とのあまりのギャップをつらいと感じたり、恨めしいと思ったり、するに違いないのです。心が病んで、20代、30代の"姿"のまま死んでしまう、ということになるかもしれません。そこに「よき死」はありません。"相応の自分"を受け容れて、一生懸命、楽しく、生きていきましょう。それが「よき死」へのたしかな足どりです。

 

欲ばるほどに、心は貧しくなる

「知足」を知っていますか?文字どおり、「足る」を「知る」ということです。お釈迦様は知足について、こんな言葉を残されています。

「知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。不知足の者は天堂に処すと雖も亦意(こころ)に称(かな)わず。不知足の者は、富めりと雖も而(しか)も貧し」

その意味は、足るを知る人は、地上に寝るような生活をしていても、心安らかで、幸福を感じていられる。足ることを知らない者は、天にある宮殿のような処に住んでいても、心が満足することがない。足ることを知らない者は、どれほど裕福であっても、心は貧しい、ということです。

足ることを知るとは、いま、自分が置かれている環境や状態、持っているものに関して、「もう、これで十分。ありがたいなぁ」と思えること、その心でいること、といっていいでしょう。欲から離れること、と考えてもいいですね。

欲というのはとてもやっかいです。なにかが「欲しい」と思い、それを手に入れて、満足感を覚える。しかし、その満足感は長くはつづきません。すぐにもまた別のものが欲しくなるのです。いったん欲にとらわれると、際限がなくなります。歯止めがきかなくなるのです。

しかし、欲しいもののすべてが手に入るはずもありません。その結果、心がかき乱され、騒ぐことになる。「欲しい、もっと、欲しい」という思いにふりまわされるのです。ふくれあがった欲は、どんどん心を貧しくします。どこかで断ちきらないと、その貧しい心のまま人生を終える、ということにもなりかねません。

自分の暮らしを振り返ってください。必要なものは大体備わっているはずです。もちろん、あればもっと便利になる、より快適に暮らせる、というものはあるかもしれません。しかし、それらは「なくてもいい」ものでしょう。

欲を断ちきるヒントがここにありそうです。欲しいか、欲しくないか、ではなく、「なくてもいい」かどうか、という視点でものと向き合っていくのです。道元禅師にこんな言葉があります。

「放てば手に満てり」

欲を手放したら、心に豊かさが満ちてきます。

 

「長生き」を目標にしない

長生きは、あくまで結果であり、目標ではない。目標にすべきなのは、どんな一日も、もっとフォーカスすると、どんな瞬間も、充実してすごすことでしょう。よくこんな質問を受けることがあります。

「坐禅をすると、どんなよいことがありますか?」

坐禅の"効用"を知りたいというわけです。しかし、坐禅はなにかのためにするのではなく、なにかよいことを得るためにするのでもありません。つまり、"手段"ではないのです。すわること自体が目的であり、すわることがすべてなのです。それ以外のことはいっさいなし、です。ですから、すわることだけに集中することができますし、そこに充実感も、心地よさもあるのです。

自分のしたいこと、楽しいこと、心地よいこと、充実できること......を脇に置いて長生きにつとめるなんて、つまらないと思いませんか?時間が、瞬間が、もったいなくはないですか?

健康(長生き)のためのジム通いより、カメラをぶら下げて、大好きな写真を撮って歩くほうが、前からやってみたかった陶芸を始めるほうが、ずっと楽しいし、充実している、と思うのですが、いかがでしょう。

定命が尽きようとするときに、「長生きするためにしてきた、あの努力はいったいなんだったのか」という思いになるのと、「やりたいことが十分にできた。いい時間をすごせたなぁ」と思えるのと、さて、どちらがいいですか?

"目標は長生き"のスローガンは捨てましょう。

プロフィール

枡野俊明 (ますの・しゅんみょう)

曹洞宗徳雄山建功寺住職

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。また、2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。近年は執筆や講演活動も積極的に行う。

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