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自分史、生前戒名、遺偈...最期に「よき死」を迎えるために住職が勧めること

枡野俊明(曹洞宗徳雄山建功寺住職)

2026年03月03日 公開

自分史、生前戒名、遺偈...最期に「よき死」を迎えるために住職が勧めること

誰にでも訪れる最期の日。その時に、「全部やり切ったと心から言える人生にしたい!」と思っている人も少なくないでしょう。

曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんは、そうした「よき死」を迎えるためのヒントが、禅の教えの中にたくさんあるといいます。本稿では、枡野さんが考える「最期の日までにやっておきたいこと」を紹介しましょう。

※本稿は、枡野俊明著『人生は、瞬間の積み重ね』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

“自分史”を書いてみる

自分の人生を語ることは、生きた証を残すことです。やりがいの点では申し分なし、意欲がムクムクと湧いてくる"大仕事"でしょう。ただし、家族や友人にじっくりと語って聞かせる機会は、なかなかないかもしれません。そこで提案です。語るのではなく、書き記すのです。「自分史」を書く。

これまで自分が歩いてきた人生を思い起こしながら、心に残っているさまざまなことを、率直に書いていけばいいのです(手書きが望ましいですが、PCを使ってもかまいません)。時系列でたどってもいいですし、印象深いものを思いつくまま、書いていってもいいですね。

たとえば、印象深かった言葉についてなら、どの時代に、誰からいわれたもので、いわれたとき、どう感じたり、思ったりしたか、その感じや思いが、その後の自分にどんな影響を与えたか......。

そのあたりをポイントにして、人との出会いや自分がなしたこと、(喜怒哀楽すべてにわたる)経験などについても、書いていったらいいのです。子どもの頃からのアルバムをひもとくと、記憶が甦ったり、鮮明になったりするはずです。

もちろん、ITが進化したこの時代ですから、"一人語り"で音声データとして残すのも可、です。自分史はのちの世代に読み継がれていくでしょう。親戚一同が集まる席などでは、自分史が話題にのぼるかもしれません。

「五代前のお祖父ちゃん、ユニークな人だったんだね。読んでいて腹を抱えちゃったよ。当然、会ったことはないんだけれど、懐かしい感じがするのは、なぜかな?」

生きた証が伝わっています。早速、自分史に着手、です。

 

生前戒名を授かる

現在では亡くなってからご戒名を授かるのが一般的になっています。しかし、江戸時代には、生前に授かる人がかなり多かったのです。それを「安名授与」といいます。死をどこかで意識する年齢になると、そのときまでどう生きたらいいか、ということを考えるようになるのでしょう。

戒を受け、ご戒名を授かることによって、それまでの自分をリセットし、心にたしかな拠り所をもって生きていきたい。そんな思いから、人びとは安名授与を望んだのでしょう。

いまも安名授与をする人はいます。わたしも年間十人くらいの人に依頼を受けます。夫が定年退職したことを機に夫婦そろっておこなう、伴侶を亡くしたことがきっかけになっておこなう、といったケースですね。

出家するわけではありませんが、仏様の弟子として生きていくことを誓うのが安名授与ですから、生き方に一本筋が通るのだと思います。「清々しく、心地よく、生きていられる。いま、その実感があります」みなさん、そんな感想を口にされています。

安名授与をおこなった際には、絡子(らくす)を差し上げます。裏にはご戒名とそれを授けた日付、授けた僧侶としてわたしの名前(大雄俊明)を筆で書きます。これは余談ですが、絡子をかけて寺めぐりをすると、拝観料をとられないこともあります。すでに仏様の弟子になった人として遇されるからです。

わたしは、できれば安名授与をするのがいいと考えています。生きるうえでの拠り所ができる、ということがいちばんの理由ですが、少し現実的なところに目を向ければ、ご葬儀の費用が安くなるということもあります。

ご葬儀のお布施には、ご戒名を授ける費用も含まれています。安名授与をしていれば、そこでその分の支払いはすんでしまいますから、ご葬儀にかかる費用は軽減されるのです。ご葬儀の費用は子どもたちが負担する、というケースが少なくないのではないでしょうか。安名授与をしておくことは、子どもたちにかける負担を軽くすることでもあるのです。

また、ご戒名についても、亡くなったあとでは、遺族に故人の人となりをうかがって、それを反映するかたちで授けることになります。いっぽう、安名授与では、ご本人に直接、お話をうかがうことができますから、より人柄にそったご戒名を授けられるといえます。

わたしの場合は、お話をうかがったのち、二つくらいご戒名の候補を考え、ご本人に選んでいただくようにしています。安名授与については、いままで知らなかったという人がほとんどではないでしょうか。一度、じっくり考えてみてはいかがでしょう。

 

年のはじめに「遺偈(ゆいげ)」を書く

禅僧には年のはじめにあたって、自分自身の心境を漢詩のかたちで綴る、という習わしがありました。「遺偈」と呼ばれるものです。どんなものかイメージできないと思いますので、実際の遺偈を紹介しましょう。

除草調清境:草を除き、清境を調え

是八十七年:これ八十七年

惟為建功尽:ただ建功の為に尽くす

信歩静安禅:信じて歩すれば安禅静かなり

これはわたしの父枡野信歩(建功寺十七世)が残したものです。住職をつとめた建功寺から「建功」を織り込み、自身の名である「信歩」を加えたこの遺偈には、一心に禅を行じ、ひたすら寺に心を寄せた、父の生涯が映し出されているような気がします。

禅僧が、その一年のうちに命を落とせば、年初に記した遺偈が辞世ともなりました。みなさんも、禅僧に倣って、年があらたまったときに、遺偈を書くようにしてはいかがでしょう。もちろん、漢詩のかたちでなくてかまいません。思いを率直に綴ればいいのです。そのときの気持ちやその一年の抱負、生きるうえでの信条や家族に伝えたいことなど、書くことはいくらもあるはずです。

「この一年、家族が無事に過ごせることだけ、ただ、それだけを望む」

「今年は『ありがとう』と『ごめんなさい』が素直にいえるようにしよう」

「卑怯なこと、未練がましいことはしないと決めた」

「子どもたちは、やさしくさえあれば、それでいい」

家族がその遺偈を目にするのは、おそらく、自分が死んだあとでしょう。遺族となっていちばん知りたいのは、故人がなにを思い、どう生きたか、ということではないでしょうか。遺偈からその一端を知ることができます。

「あまりものをいわない親父だったが、ほんとうに家族を大事に思っていた人だったのだなぁ」

「卑怯、未練は、しないってことか。自分もそう生きなくては......」

遺偈に触れた遺族の胸に深い感慨が広がるのは間違いのないところです。それほどすばらしい「相続」はない、とわたしは思っています。

「えっ、相続?」と首を傾げた人がいるかもしれませんね。現在、相続という言葉は、預貯金や不動産などを受け継ぐという意味で使われています。

しかし、もともとの意味は違うのです。本来、相続は仏教用語で、"かたちのないもの"を受け継いでいくことをいう言葉でした。その最たるものが「教え」です。弟子が師から教えを受け継ぐ。それが、相続ということなのです。

生きてきた自分の思いや生きざま、遺族や次の世代に申し送りたいこと、戒いましめて欲しいこと......。それらはすべて、相続させる価値があります。受け継がれていく意義も、意味もあります。遺偈にしたためた自分の「思い」が、何世代にもわたって、永々と受け継がれていく。それほど幸福なことはないのではありませんか。たとえば、何世代かのちには、「卑怯、未練は、しない」ということが、子孫たちによって「家訓」にされているかもしれません。

"家訓の始祖"はその家系で永遠に語り継がれ、忘れられることはないでしょう。みごとな相続がなされたのです。蛇足ながら、この相続には税金はいっさいかかりませんよ。

プロフィール

枡野俊明 (ますの・しゅんみょう)

曹洞宗徳雄山建功寺住職

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。また、2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。近年は執筆や講演活動も積極的に行う。

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