1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 林家木久扇が語る落語家のお金事情 名入りポチ袋に込めた“粋”な流儀

生き方

林家木久扇が語る落語家のお金事情 名入りポチ袋に込めた“粋”な流儀

林家 木久扇(落語家)

2026年02月27日 公開

林家木久扇が語る落語家のお金事情 名入りポチ袋に込めた“粋”な流儀

林家木久扇さんは2024年3月、日本テレビ系の長寿番組『笑点』を卒業されました。初めて『笑点』の大喜利メンバーに抜擢されたのが31歳、以来55年の長きにわたりレギュラーをつとめてこられました。

本稿では、いまだ現役として第一線で活躍される木久扇さんに「落語家のお金事情」についてお話を伺います。

※本稿は『人生は夕方からが美しい』(PHP研究所)より一部を抜粋・再構成したものです。

 

師匠クラスは寄席で祝儀を配るのがならわし

落語家の世界では祝儀を配ることを「切る」といいます。
わたしたち落語家にとって楽屋で祝儀を切るのはとても大事なことです。祝儀の切り方で、その人の格が決まるといってもいい。

祝儀をケチると、「あの師匠はケチだ」とうわさがたって、人が動いてくれません。大げさにいうとお茶も出ないし履物もそろえてもらえない。ああいうものはケチってはいけないんです。

祝儀を誰に配るかというと、寄席の場合は前座をつとめてくれる前座さんや三味線を引いてくれるお囃子さん、着物を着せたりたたんでくれる方、ほかにもノボリを出してくれる外回りの人、切符を切ってくれる人や、寄席で働く人にも配ります。

初日と中日と楽日の計3回、「ご苦労さん」という意味で配りますから、10日間の内、ひとりの人に3回"切る"ことになる。
金額はそんなにたいしたことはないんですが、ひとり1000円から3000円。席亭さんにも別に1万円。

わたしの場合は3000円と決めていて、人数×3回だとけっこうな金額になります。ほかにも雨のとき傘をさして車まで送ってくれたり、重い荷物を持ってくれたら、そのつど2000円とか、心づけを渡します。

寄席からワリ(出演料)をいただきますが、祝儀を配ると、いくらも残りません。
それでも寄席はショーウィンドウですから、もうけるために出るんじゃなくて、顔見せに出るんだという割り切りが必要です。

当然、寄席だけで生活することはできないので、落語会やホール落語に出たり、司会やイベントで補う人が多いと思います。
わたしの場合は、落語以外に、「木久蔵ラーメン」の販売事業と漫画やイラストを描く仕事があって、3本柱で収入を支えているので、うまくバランスがとれています。
収入源は複数あったほうがいい、というのがぼくの持論です。

 

自分専用のポチ袋にピッタリサイズに折って渡す

祝儀はポチ袋に入れて渡します。自分の名前が印刷された専用のポチ袋を用意して、それに入れて渡すんです。自分のポチ袋を名入りで印刷して用意する人は、落語界以外ではないんじゃないかな。
わたしも大きいポチ袋と小さいポチ袋を2つ用意して、いつでもお札を入れて渡せるように20くらい持ち歩いています。

渡し方もあって、ひとりにだけあげるときは、「ちょっと、ちょっと」とその人だけ呼んで、目立たないように渡す。
そうしないと、周りの人、全部に渡さないといけなくなっちゃう。大損失ですよ。

お金の入れ方にも決まりがあってね、お札を三つ折りにして、袋にぴったり入れます。すきまがないように入れるのがおしゃれなんです。お金を四つ折りにして、袋に余裕を持たせるとか、そういう野暮なことはしません。

ふつうのサイズのポチ袋だと少しゆるくなるので、わたしは1万円札のピン札がぴったり入るように、特別なサイズでポチ袋を注文しています。
それがおしゃれというかね。うちの正蔵師匠もお札をピッタリ入れていました。

ちなみに、わたしたちが寄席の席亭さんからいただくワリは茶封筒を半分に切って、真四角のサイズに名入りしたものに入れて落語協会から渡されるんです。それが昔からのならわしなんですね。
入ったお客の入場料の半分を席亭が取り、残りの半分を協会で身分分けするので、人数によって出演料が決まります。

 

渡すのは新札。いつも新札を持ち歩きます

祝儀で切るお札は必ずピン札と決まっています。
暮れは大変ですよ。楽屋や寄席で働く人にピン札でお年玉をあげるので、銀行では数十万円くらい両替する。すると手数料を取られるんです。自分のお金なのになぜ手数料が取られるんだろうと腹が立ちます。

コンビニでも、キャッシュカードでお金をおろすと手数料が取られる。それがイヤで、必ず銀行のATMまで歩いて行くことにしています。
楽屋の祝儀は気前よく出しても、銀行の無駄な手数料は一円でも出したくない。それがわたしの流儀です。

 

慈悲の心でお金を配った正蔵師匠

決意の一文「黄金のジョーク集」の中に書かれた決意の一文
写真・渡邉茂樹

うちの正蔵師匠ほど、粋なお金の使い方をする人はありませんでした。自分は節約して、人のために惜しみなく使う方でした。
わたしの弟弟子の林家時蔵が真打ちになったときです。ポンと100万円、祝儀をあげたんです。ふつう、真打ち昇進の祝儀は3万円くらいです。それをポンと100万!

「あいつは家族もいないし、客もいないからかわいそうだ」と。うちの師匠らしい話ですが、師匠のおかみさんはいつもこぼしていました。うちにお金がないときなのに、弟子に100万円も使うんですもの、と。

芸人の無縁仏が祀ってあるお寺にも5万、10万円単位で奉納していました。芸人は昔、遊芸人とよばれて、差別されていたんです。亡くなって無縁仏になる人が多かった。誰も拝む人がいないのはかわいそうだと、師匠は無縁さんを祀るお寺にお金をおさめるんです。情の深い人でした。

師匠が亡くなったときも、葬儀もしないですぐに体を献体しました。
そして弟子たちの生活費に30万円ずつ渡すようにと遺言してね。ぼくはもらえなかったので、ご遺族のご長女のところに行って「私はもらっていないんです」とお伝えしたら、「やだわ、あんたと紙切りの正楽さんは売れてるからいいって、お父さんの遺言にあったのよ」ですって。もう大笑い。
そういう慈悲心がうちの師匠にはありました。

お金を使うなら、潔く、人を想って、ドンと使う。やさしい師匠を見習いたいものだと思います。

関連記事

×