「せんそうってプロジェクト」を立ち上げてから、一冊の本になるまでの間に、世界の情勢は大きく変わってしまった——そう振り返るのは、哲学者の永井玲衣さんです。写真家の八木咲さんと共に、「せんそう」について語ったり、聞いたり、考えたりする場をひらいてきた永井さんは、この7月、その歩みをまとめた一冊『せんそうって』を刊行しました。
本を作る中でたどり着いた永井さんなりの答えと、目まぐるしく動く社会に不安を抱える読者へのメッセージをうかがいました。(写真:八木咲)
「そこには人間が確かに生きている」
――戦争にまつわる対話を重ねた上で一冊の本が出来上がりました。『群像』に連載として書き綴っていたと思いますが、このプロジェクトを開始した当初と、それが本になった現在とで戦争への印象や、対話している人、その場所の見え方は変わったりしましたか。
【永井】本当に、私たちを追い抜いていくように国際情勢も社会も急激に悪化しているので、切迫感と焦燥感がより増してしまったと思います。それは市民の間にも広がっていて、「やばいかも」という感覚が、いろいろな場所に表れている。人々の変化はかなり感じるようになりました。
自分自身は、いろんな話を聞いたり書いたりして、最後の一行に「せんそう、わたしはあなたを愛することはできない。」と書いたのですが、あの言葉を実感を持って書くことができたのは、この連載があったからだと思います。
戦争の話を書くことによって発見したのは、最終章の「生きている」の、「生きた。生きてきた。生きている。」という一行を書くために自分はこれをやってきたんだな、ということでした。
そこには人間が確かに生きている、だから殺すな、殺させるな、しょうがないと諦めたくない、と思う。
戦争というと、ついつい死に引きずられて、漠然とした瓦礫のようなものが浮かんで、もうダメかもしれないと思ってしまいます。でも、そこには生きてきた人がいて、今も生きている人がいて、生きようとしている人たちがいて、私たちも今生きている、じゃあ何をするんだろう、と切迫感の中で書きながらその言葉を見つけていけたのだと思います。
――永井さんのご著書や発信をきっかけに、もう少し戦争について話してみたいと思う人も現れるかもしれません。そうした対話を始めたいと思ったときの最初のきっかけ、初めの一言として、どんなことから始めるといいと思いますか。
【永井】「聞きたい」ということですかね、本当に素直に。「あなたの言葉を聞きたいです」と伝える。
場を作るときに、自分のことを「ファシリテーター」と言わなくなって、かなり長い年月が経つのですが、ファシリテーターというと、場を管理する、サービスを提供する側にどうしてもなってしまうことがあって。そうではなく、一緒に考えたいんだと思うんですね。
同時に、語り手は聞き手がいないと語り手になれないので、自分は最初の聞き手になりたいと思うようになりました。だから場を作るときは「聞きたいです」と正直に言うようにしています。
「はい、皆さん喋ってください、どうぞどうぞ」ではなく、「めちゃくちゃ聞きたいと思ってここにいます」と、本心として伝えるようにしています。あなたが考えていることは絶対に大事なことで、でもそれが結論ではないと理解しているし、考え途中のことを一緒に出し合いながら考えていきたいので、どうか引っ込めないで教えてほしい、と。
もちろん無理に話さなくていいけれど、話そうかなと迷っているんだったら絶対教えてほしい、と言って始めています。
大きな社会の流れに一人では抗えないから
――最後に、今回のお話の中でもたくさんのメッセージをいただいたと感じているのですが、国際情勢が大きく変わる中で、焦りや無力感を覚えてしまう人もいるのではないかと思います。それでも対話を諦めないために、永井さんから言葉をいただけますか。
【永井】今起きている現実を認識することは、そのまま肯定することではありません。ですが、混乱しているとそれを分別できなくなってしまうと思うんです。「現実はこう」というのを飲み込んでしまって、「これは変えられないんだ」と思い込んでしまう。本当は同じではないんです。
必要なのは、「私たちはどうしたいか」だと思います。死にたくないし、殺されたくないし、殺したくないし、殺されてほしくない。非人間化がまかり通るような、暴力が当たり前の顔をして跋扈(ばっこ)するような社会に生きたくないのが素朴な「嫌なんですけど」と感じている部分で、じゃあそれをどうするかと考えることはできると思います。
でも、一人でいると「現実は大きすぎて無理かも」と感じてしまうものです。例えば今、「デモは何のためにあるのか」という論争がありますよね。いろいろ意味はあると思うのですが、一つは"思い出させてもらえること"なのではないかなと。「そうだった、そうだった、これは別に諦めなくてよかったんだった」と互いを励まし合うためにある。
誰かの語りの中に自分の言葉を見つけて、「あ、私もそんなふうに言ってよかったんだ」と思い出す。それは対話の場でも起きていて、「自分の気持ちをこうやって言っていいんだ」と確認し合う、励まし合う部分がすごくあると思います。
だから一人ではできないんです。一人で抗うことはできない。私も「ヘナヘナで無理かも」という日も当然あるのですが、それでも「やっぱり大丈夫だったわ」を繰り返している。だからそういう場をたくさん作ることが必要なんじゃないかと思います。
――日常的な悩みと近いのかもしれませんね。戦争という大きな問題に対しても、一人で悩まないことが大事なのかも。
【永井】確かに、悩みと同じと言っていいかもしれません。一人で悩まない、そういうシンプルなことかもしれないですね。
(取材・構成:PHPオンライン編集部 片平奈々子)









