なぜあの人はモテるのか?―京大教授・鎌田浩毅の伝える技術
2013年07月26日 公開 2022年11月10日 更新
話が通じる、通じない理由を「フレームワーク」で考えることで、相手との距離が見えてくると、京都大学大学院教授の鎌田浩毅氏は言います。
専門オタクだった研究者が人気の先生になれた戦略とはどのようなものなのか。京大の人気教授が、理系的考察と発想で人間関係の妙味を語ります。
※本稿は、『京大理系教授の伝える技術』(PHP新書)の内容を、一部抜粋・編集したものです。
なぜあの人はモテるのか?
「伝える技術」の達人になるためにもっとも基本となる考え方を紹介しましょう。
それは「相手の関心に関心をもつ」ということです。身近な例として恋愛を取り上げてみましょう。
世の中にはモテる人とモテない人が厳然として存在します。その差異は何でしょうか。ここに、「相手の関心に関心をもっているか」どうかが関係しているのです。世の中には男女を問わず、相手の関心のないことを延々と話しつづける人がいます。
相手はあくびをかみ殺している。あるいは、機械的にうなずいているだけで、話が終わるのを待っている。もし、相手が遠慮なく言える仲なら、「つまらないから、別の話をしてよ」と言うだろう。だが、それほどの仲でなければ、黙って聞いている。
(樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方』PHP新書、107ページ)
こういう人は絶対に異性にモテないでしょう。恋愛に関しても「相手の関心に関心をもつ」という原則は、まったく同じように成り立っているのです。
雑誌の「こんな男はモテる!」という特集を読み込んで、そのとおりに実行する人がよくいます。流行の髪型をして、流行の服を買ってくるのです。書いてあるとおりの口説き文句を、一字一句そのまま女性に語ったりもします。
しかし、この彼は目の前の女性をぜんぜん見ていません。彼女の関心に関心をもたずに、そのような独りよがりなことを続けていれば、確実に相手から逃げられるでしょうその恋は決して成就しないのです。
そうではなく、まずは相手の好み、趣味、興味に関心を寄せる。好きなことと嫌いなことを知るのです。そして、相手が得意な分野を話題に選んで、楽しく会話することを心がけます。自然と会話が弾むように、徹底的に相手に合わせる努力をするのです。
たとえば、相手がジャズ好きなら、ジャズの勉強をする。哲学が好きなら哲学書読んでから臨む。相手が楽しいと思える好みの会話にもちこめば、好感をもってくれるようになるはずです。
恋する相手から気に入られたいと願うときに見つめるのは、自分の気持ちであってはなりません。逸る自分を抑えて、冷静に相手の気持ちを推し量るのです。
相手が何を欲しがっているのかを考えて、相手にとって好ましい状況を用意する。「相手の関心に関心をもつ」ことができてはじめて、片思いから両思いへと進展させることができるのです。
「以心伝心」はもはや通用しない
ここで、話の切り口を変えてみましょう。価値観が一致している間柄の場合、伝える技能はどうなるでしょうか。
たとえば、私たち日本人が好む心の動きに「以心伝心」というものがあります。いちいち言葉で説明を加えなくても、わずかの情報から相手を推し量り、事を進める姿に美点を認める。さらに「一を聞いて十を知る」という言葉もあります。
その以心伝心の例として、たいへんおもしろい逸話があります。19世紀フランスの作家ビクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』を刊行したときのことです。ユゴーは出版社の社長に本の売れゆきを尋ねるため、以下の手紙を送りました。
「?」
すると杜長からこういう返事が来たのです。
「!」
『レ・ミゼラブル』の売れゆきはどうだろうか?
これがユゴーの問いです。
爆発的に売れている!
そう返ってきたのです。
これは世界一短い手紙のやりとりとして有名なエピソードです。
ここでは2人のあいだに、新著の刊行という共通の話題があったので、こうした離れ業が可能となりました。極端に単純化した応答でも、十分に意思疎通ができたのです。価値観が完全に一致する場合には、言葉さえ必要としないことがあるとわかります。
しかし、これは特例と見なしたほうがよいものです。価値観が違うことがわからずに行動すると、大きな失敗をすることになるでしょう。以心伝心には落とし穴がある、と考えたほうが妥当なのです。
江戸時代のように、何百年も安定していて変化に乏しく、社会の範囲が狭い時代には、多くの人が同じ価値観で生きることができました。
士農工商の身分が固定されているため、つきあう人の幅も小さく、多くの人は生まれてから死ぬまで同じ土地で暮らしていたのです。こうした時代には、以心伝心も不可能ではなかったのです。
しかし、現代はいたるところでグローバル化が進み、情報が過剰になっています。また、世代間や職業間での差異が、かつてよりはるかに大きくなりました。
その結果、人々の価値観をつくる背景が、まったく異なってしまったのです。離れた地域や宗教間での伝える技術も必要となり、世界を股にかけての仕事が当たり前の時代です。
よって「以心伝心」「一を聞いて十を知る」という美徳は、もはや通用しないと認識しなければなりません。価値観の異なる人のあいだで意思疎通を図るには、面倒でもきちんと言葉に出して確認する必要があるのです。