おもてなしの心の真髄
千利休の逸話からは、茶の湯の道を求める厳しい姿勢が浮かび上がってくる。己に妥協せず、常に理想を求める。その精神があればこそ、遂に秀吉と衝突し、切腹することになったのであろう。利休の名が不朽のものとなった大きな理由も見えてくる。(各文末のカッコ内は出典)
茶事の掛け持ちとは言語道断
ある人が津田宗及から夜の茶事に招かれ、堺に赴いた。だがその朝、「夜の茶事までは時間があるので、今のうちに」と利休を訪ねた。すると利休はことのほか馳走をふるまう。あまり時間がかかると、次の茶事もあるので迷惑なのだが、利休から「ぜひとも」と引き留められたため、時間ばかりが過ぎてしまった。その後、走って宗及のもとへ向かい案内を乞うたが、すでに茶事は終わっていて大いに面目を失った。これは利休が「後刻、茶の湯に招かれている者が、別の人を訪ねるとは言語道断」と、わざと手間取らせたのである。よくよく心すべきことである。(松風雑話)
水鉢と紅梅
春のある日、秀吉が大きな金の鉢に水を入れて、傍らに紅梅を一枝置き、利休に「花を入れてみよ」と命じた。利休は紅梅の枝を逆さに持ち、水鉢にさらりとしごき入れた。開いた花びらと蕾とが入り交じって水に浮かぶ様は、えもいわれぬ風流であった。秀吉は「何とかして利休めを困らせようとするが、どうにも困らぬ奴じゃ」とご機嫌であった。(茶話指月集)
興ざめの茶事
摂津国に1人の佗び茶人がいた。利休が思い立って、まだ夜も明けぬ時分に茶人宅を訪ねると、亭主は「これはこれは」と驚きながら招じ入れた。聞きしに勝って掃除も行き届いている。亭主は柚子を2つ3つ取ってきて、柚子味噌のみで仕立てた膳が運ばれてきた。利休は「佗びのもてなし、一際面白い」と思い、気持ちよく膳をいただいたが、酒の一献が過ぎた後、「これは昨日、大坂からもらったものです」と、ふっくらしたかまぼこが出された。利休は「さては、私が立ち寄ることを誰かから聞きつけていたからこそ、掃除もきれいにし、趣向も調えていたのだな。初めの驚いた体も作り物よ」と興ざめて、「急用を思い出しました。また立ち寄りました時に、ゆっくりとお茶をいただきます」と、どのように引き留めても聞かずに帰ってしまった。利休は以後二度とその茶人に会うことはなかったという。(茶湯古事談)
茶巾さえきれいであれば
ある田舎の佗び茶人が、利休に金子1両を送り、「何でもいいので、茶道具をお送りください」と言ってきた。利休はそのお金で残らず白布を買って送り、こう伝えた。「佗び茶では、何がなくても茶巾さえきれいであれば、茶は飲めます」。(茶話指月集)
落とし穴
ある人が、お茶には諂いがある、と利休に問うた。利休はこう答えた。「わが友にノ貫という者があります。茶の席に赴くと、潜り戸の前に落とし穴を作っており、私は泥の中に落ちてしまいました。湯浴みをして再び茶の席に入ったのですが、実は、落とし穴があることは、私は別の人から聞いていました。しかし穴に落ちなければ、亭主の趣向が台無しです。それは本意ではないので、落ちたのです。それでこそ、その日は楽しい会となりました。諂いではなく、亭主の心に応じなければ茶の道には合いません」。(雲萍雑志)
西瓜に砂糖
ある人が利休を招いた時、西瓜に砂糖をかけて出したところ、利休は砂糖のない所のみを食べて帰り、門人たちに笑いながらこう語った。「かの人は人を饗応する心がわかっていない。西瓜に砂糖をかけて出したが、西瓜には西瓜の味があるのだ。茶人にふさわしくないふるまいだ」。(皇都午睡)
利休切腹
天正19年2月13日、利休が秀吉公の勘気を蒙り、堺に蟄居した折、ある人へ出した手紙には、次の一首があった。
心だに岩木とならばそのままに みやこのうちも住みよかるべし 火中 (自分の心さえ、若や木のように感情を殺していれば、そのまま都でも住みよかったでしょうが、私は心を偽ることができません。この事はお読みになったら火中に投じてください)
利休がその心を曲げなかったことを知るべきであろう。利休の切腹のことは、色々と取り沙汰されるが、さしたる咎でなかったからこそ、秀吉公も利休所持の道具を愛でられたのだ。(茶話指月集)
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利休の切腹の原因について、当時から指摘されていたのが、天皇や秀吉もその下を通る大徳寺の山門の上に、草履を履いた自らの木像を設置したことが無礼千万とされたこと。安い茶道具を高価で売って私腹を肥やしているとされたことである。だが、大徳寺の木像は、切腹の1年前には完成しており、不自然さも残る。では、真の理由は何か。前後関係から考えると、朝鮮出兵に反対したこと。秀吉の補佐役・豊臣秀長の没後、権力闘争に巻き込まれ、石田三成に讒言されたこと。娘を秀吉の妻に望まれて拒んだこと、などの理由が浮上してくる。だが、真相は謎である。ただし、茶の湯についての考え方が、秀吉と利休とで相容れなくなったことが大きな理由の1つであることは、間違いないことであろう。
*参考文献:筒井紘一『利休の逸話』(淡交社)