柳田邦男 人生はうまくいかなくてもともと
2014年03月13日 公開 2022年06月16日 更新
※本稿は『悲しみは真の人生の始まり』(100年インタビュー)より一部抜粋・編集したものです
心と向き合う
不条理を生きていく道を探す
私は70歳を過ぎた歳とも関係があると思いますが、人生は、うまくいかなくてもともと、だと思っています。
自分の人生を振り返ってみると、いろんなことがありました。
少年時代の戦争、父の死、貧困、人生後半に入ろうとしていた時期の母の死、義兄2人の相次ぐガン死、そして息子の自死、さまざまなことを経験してきました。だけど、それがもともと人生というものじゃないかという思いです。
――人間には、もともといろんな苦しみがあると?
ええ、それにつきまとわれない人生があったら、それは例外だと思います。つらいこと、苦しいこと、大変なこと、孤独を感じること、それらがなかったら、むしろそっちのほうが、アブノーマルじゃないかとさえ思います。
世の中を見ると立派な家屋やマンションに、家族が幸せそうに暮らしているように見えますが、屋根の下の現実は、すべてがうまくいっている家族は、おそらくほとんどないんじゃないかな。みんな、いろんな問題や悩みを抱えている。子どもが問題を抱えていたり、親が問題を抱えていたり。病気、障害、心の問題、経済的困窮、子どもの引きこもり、家族の不和、財産争い、実に多様です。
人生のデコボコ、あるいはハリネズミに刺されるような状況は、人間が生きていく過程では避けられないことだと思います。
生きるというのは、それらを受け入れながら自分を見つめ、自分自身がよりよく生きていく道を探すよりほかはないでしょう。
その探すということは、おそらくつらいことでしょう。
自分で自分の道を見つける。これくらい大変で、しかもつらいことはない。そのつらさを引き受ける、それこそが人生だと思うんですね。
人とのつながりが大事
――本の中で、洋二郎さんの死が、自分に「爆弾を投げ込んだ」という書き方をされています。洋二郎さんは、深い問いかけをされたんだなと感じました。
青年時代、世の中に起きているいろいろな現場を取材し、見ていましたが、やっぱり、それらを対象化して見ていたと思います。
自分は取材し観察する人で、向こう側にある苦しみ、悲しみ、悲惨なことを、自分はどう見て表現していくかと。自分のことは安全圏に置くみたいに切り離し、客観的に分析していました。いわば研究対象を対象化して観察し分析する科学者の方法とか、刑事事件を追う捜査官の眼に似ていると言えるかもしれない。
でも、人間の本当の部分を見るためには、自分の身に引き寄せで考えてみることこそ、大事なポイントだと思うようになりました。自分とのつながりを切らないことですね。
関係性を切らずに、どろどろとした部分を全部受け止めながら、物事を見ていく。そして、究極においては自分を見るということ。洋二郎の死によって、私が一番変わったところはそこですね。
公害や事件、災害、戦争、さまざまな出来事を、対象として見るのでなく、自分もその中の一員であり、断ち切ってはいけないものとして考える、時には引き受けていく。そういう見方を教えられた、と言ったらいいのか。
――自己実現、自己中心、自己責任。人とのつながりが薄くなっていく、そういう時代になってきていますが、柳田さんはどう感じておられますか?
私は子どもの心の発達の問題に、問題意識が移っていくわけですけど。
一人の人間が生まれて育ち、社会人になって、やがて一生を閉じる。そのサイクルの中で一番大事なのは、乳幼児から少年時代にかけての心の形成、心の発達の問題です。
お互いの心を理解し合い、人とつながり合っていく、そういうところが大事ですが、そこが危なくなってきているのが現代社会だと。
その間題意識は、私自身がずっと事件や災害、事故で書いてきた流れの中で必然的につながっていくんです。
事件の話はその分野で、子どもの話はその分野でという話ではなく、さまざまな物事は根底においてつながっているんです。私の中では少なくともそういうことなんですね。