野口健 「世界遺産・富士山」に課せられた厳しい宿題
2015年04月28日 公開 2022年11月02日 更新
《PHP新書『世界遺産にされて富士山は泣いている』より》
★本記事は、2014年6月に公開した記事の再録です。
世界遺産にされて富士山は泣いている?
富士山の世界遺産登録は、「富士山が綺麗になったから」ではない。そこにあったのは「世界遺産・富士山」をめぐる凄まじい思惑と駆け引きだ。さらには富士山が「世界遺産登録」されたあとのことを、この国では、誰も責任をもって考えてこなかったのではないか……。
富士山の世界遺産登録は条件付きだった!
2013年6月22日、カンボジアのプノンペンで開催された第37回世界遺産委員会で、富士山の世界遺産登録は正式決定された。
だが、それは「条件つき」だった。「とりあえず世界遺産にしてあげましょう。その代わり、これだけの問題を改善しなくてはダメですよ」といった厳しい宿題を突きつけられたのだ。日本政府は2016年2月1日までに、それらの条件をクリアするための具体的な報告書を提出しなければならない。文化庁の職員によれば、「世界遺産登録後に問題が生じ、報告書を求められることはあるが、今回の富士山のように登録時点で提出を求められるケースはほかに知らない」という。
さらに知られていないのは、じつはその推移によっては、富士山の世界遺産登録は取り消されることすらありうるということだ。
このユネスコからの宿題に一刻も早く、みんなで立ち向かわなければならない。しかしメディアは、富士山がいかなる経緯で世界遺産になったのか、どんな条件がつけられているのかという肝心な情報について、ほとんど伝えようとしなかった。
きちんと報道したのは、こく一部のニュースだけで、それ以外は「富士山が世界遺産になった、めでたい」というお祭りムード一辺倒。当初は除外勧告がされていた三保の松原も含めて世界遺産になったということばかりを取り上げて、「ああ、よかった。世界遺産バンザイ」という内容ばかりが繰り返されたのである。
富士山関連でテレビ番組に呼ばれたとき、「世界遺産が『条件つき』だったことを解説したいから、少しでいいから時間をくれませんか」と頼んでみたが、多くは断られた。それどころか 「できれば富士山の世界遺産について否定的なことはいわないでください」という。とにかく富士山の魅力だけを話してくれ、みんなが喜んでいる雰囲気に水を差すことはしないでくれ、という「空気」が存在していたのだ。
最も大切で、伝えるべきことに触れようとしないそのスタンスに、僕の違和感はますます膨らんだ。いったいなんのための「世界遺産」なのか。登録されたらそれで終わりなのか。むしろ富士山が難局に直面するのはこれからなのに……。
ユネスコへの宿題提出期限まで3年弱だったが、多くの日本人は、富士山に課された条件をいまでも知らないままでいる。
日本が突きつけられている「条件」
日本政府は、富士山の世界遺産登録にあたって、具体的にどんな条件を課されたのか。
文化庁が報道発表として公開した文書には、次のようなことが記されている。
2016年の第40回世界遺産委員会において審査できるように、2016年2月1日までに、ユネスコに富士山の「保全状況報告書」を提出しなければならない。その報告書には以下を含める。
(1)文化的景観の手法を反映した資産の総合的な構想(ヴィジョン)
(2)来訪者戦略
(3)登山道の保全手法
(4)情報提供戦略
(5)危機管理戦略の策定に関する進展状況
(6)管理計画の全体的な改定の進展状況
つまりユネスコは、「ひと夏30万人という膨大な数の登山者が訪れることによって、富士山の斜面は激しく損傷するおそれがある。これを守るためには、登山道の保全に対して対策が必要であるし、来訪者の管理について具体的な戦略を立てることが必要である」とはっきりいっているのである。
2013年6月にカンボジアで開かれたユネスコ世界遺産委員会の場に臨席していた都留文科大学教授の渡辺豊博さんに、そのときの様子を伺った。
富士山の世界文化遺産登録にあたってのプレゼンテーションは20分にわたり、そのうち5分は富士山に対するプラスの評価だったが、なんとあとの15分は問題点、改善点の指摘だったそうだ。
その具体的な内容とは、「山麓の開発により、巡礼の道筋、神社、御師住宅など構成資産相互の関連性がわかりにくくなっている」「夏の膨大な登山者の来訪、それを補助するための山小屋、ブルドーザー道、落石防止のコンクリート壁などが、信仰の対象であるべき富士山の神聖な雰囲気に反している」「富士五湖(とくに山中湖と河口湖)は増加する観光開発の圧力にさらされている。建物の規模、建設可能な場所、景観について、山麓のホテルを含めてより強力に制限する必要がある」など、10項目以上に及んだという。
プレゼンの場では、闇のなかをブルドーザーが山小屋への荷物の運搬のためにジグザグ状の道を登っていく光景などが大きくスライドに映し出され、委員たちから「とんでもない」「信じられない」という声が上がり、「私からすれば恥のプレゼンでした」と渡辺さんは語っている。