軍事バランスは国家関係の基本
私は従来、政治と経済とは無関係だといってきた。そもそも経済はプラスサム・ゲームであり、安全保障はゼロサム・ゲームである。
国際的な貿易も投資も、両側が儲かるからやるのである。一方だけ儲かるのならば、取引が成立するはずはない。ということは、戦争で取引が中断すれば、両方が損をする。一方だけが損をするから、戦争できないということはない。
日本と中国が戦争すると、日本は莫大な対中投資を失うが、中国側の損害も計り知れない。戦争で貿易が中断されると、中国の工業のほとんどは、輸出市場を失い、あるいは、日本からの部品の供給が途絶え、操業できなくなる。それがひと月、ふた月ならばまだしも、半年も続いたならば、工場の閉鎖で失業者が溢れ、社会不安を招き、中国共産党の支配体制そのものを揺るがしかねない。中国は長期戦に強いというのが、シナ事変、そして冷戦時代の対ソ戦争の準備において、与件のように考えられたが、現在の中国はまるで違うと考えてよいと思う。
他方、安全保障はゼロサム・ゲームである。日本が戦闘機を1機増やせば、そのぶんだけ軍事バランスは中国に不利になる。プラスサム・ゲームということはありえない。
集団的自衛権議論のなかで、中国との関係が悪くなるからという反対論があった。集団的自衛権を行使できるようになれば、それだけ日本の安全を高めることになる。すなわち、中国にはそれだけ不利になる話であって、中国が反対するのは当然である。中国が反対するからできないというのなら、戦闘機1機買うこともできなくなってしまう。つまり、そんなことをいっていると、日本の安全を高める措置はいっさい取れなくなってしまう。
こと安全保障に関しては、相手の反発は与件として考えねばならない。
私は、年来、完全な政経分離が正しいのではないかと考えている。軍事バランスは国家関係の基本である。既存のバランス・オブ・パワーが崩れては、それまでの国家関係は機能しない。
だからクロウは、1907年に最強の陸軍を擁するドイツが海軍力で英国に追い付けば、世界のバランス・オブ・パワーが崩れると指摘し、その年に英露仏三国協商が成立するのである。
最終的にはそれでもドイツの軍事力には対抗できず、ロシア軍は壊滅してしまうが、フランス軍が予想外によく防戦しているあいだに、アメリカを巻き込んでやっと勝つのである。三国協商を組んだのは、当時としては、最善の答えだったのであろう。
現在と当時とのあいだには歴史的な類似性もある。ドイツが建艦法を制定して、当時すでに英国を凌駕していた工業力をもって大規模建艦に乗り出すのは1897年である。
中国の軍拡は建国以来一貫して進められ、とくに1989年の天安門事件以来の、江沢民政権の軍に対する懐柔策の下に、多分に軍の意向どおりに進められてきていたが、それでも、それがインフレを除いて2桁成長となるのは1997年以降である。それは、1996年の台湾海峡危機の屈辱を晴らすために遺恨10年一剣を磨いてきたからだと解せられる。
ドイツの建艦法から三国協商までちょうど10年である。中国が大軍拡に乗り出す1997年から10年経った2006、7年ごろ、東アジアでも同じような動きがあった。
第一次安倍内閣の麻生外相が、「自由と繁栄の弧」を唱えたのもそのころであり、米国が、インドの核実験以来凍結していた米印関係を改善したのも、第一次安倍内閣がインド、豪州と親密な関係を結んだのもそのころである。
その動きはその後停止していた。それはその後米国ではオバマ政権となり、日本でも民主党政権時代などがあったゆえともいえるが、より根本的には、中国の軍事力増強がいかに急速であるとはいえ、20世紀初頭にドイツの建艦が英国に追い付き追い越そうとしたほどの急速な脅威ではなかったということがあろう。
しかし、すでに見てきたような数字によると、その後また10年近く経過した現在、1907年ごろ欧州で感じられた危機感は、現在感じられてもよいように思う。
中国に対抗する軍事戦略と外交戦略
1つ留意しなければならないのは、技術の進歩である。技術の進歩は脅威を、それまでの予想を超えて加速させる。
ドイツの脅威が俄かに感じられたのは、1906年に英国でドレッドノート型戦艦が進水して以来である。それによって、それまでの戦艦が全部旧式になり、ドイツが新たなドレッドノート級戦艦を進水させるごとに、英独の差が急速に縮まる状況となった。技術の革新は較差を一気に縮める。
中国が米国と同じ能力の空母機動部隊を複数建設して西太平洋に配備するには、全力を挙げても、まだ10年以上はかかろう。
しかし、長距離ミサイルの性能を向上させて、GPSを使って、西太平洋の米空母機動部隊を宇宙からピンポイントに攻撃できるようになれば、状況は一挙に変わる。いずれにしても技術革新の将来を正確に見通すことは困難であり、いつそうなるかわからないと、覚悟しておく必要がある。
西太平洋どこでも、となると、まだ時間がかかるかもしれないが、台湾海峡周辺となると意外に早いかもしれない。長距離対艦ミサイルでなく、現有の戦闘機数だけでも、来る2016年の台湾総統選挙において、1996年のような米機動部隊の威圧が可能かどうか、もうわからなくなっている。
結論は、中国の脅威に対抗するための軍事戦略、外交戦略について、遠慮しないで、正面から取り組むべきだということである。
外交面で外交的であることは当然である。外交的な発言や文書で正面から中国を敵視する必要はまったくない。それは、1907年の三国協商の先例を見れば明らかである。
しかし、軍事戦略家、外交評論家のレベルでは、あくまでも真実を探求し、それに政治的配慮を加えずに対策を論じるべきである。
アメリカでは、ブッシュ政権末期のゼーリック国務副長官時代以降、オバマ政権を通じて、対中宥和姿勢を取ってきた。その間、対中戦略論を論じることはほとんどタブーであった。
しかし、それがごく最近微妙に変わってきたようである。
オバマ政権の姿勢は変わらない。しかし、国際政治学者、専門家、評論家、議会などにおける言説には、変化が感じられる。
何十年も穏健中正で、政府の立場から一歩を踏み出さなかったボブ・サター、リチャード・ブッシュ(中国専門家)の論文にも微妙な変化が感じられる。逆に、従来親中的議論を展開してきたデイヴィッド・ランプトン教授のような人は、米国の中国観が、「関与(engagement)」から、「ヘッジング(hedging)」を経て、「抑止(deterrence)」へと変化し、現在は、「強圧的外交(coercive diplomacy)」という語が両国で聞かれると、慨嘆している。
米国の政策が、そこまで変わったとは思わないが、たしかに米国の一般の考え方は変わってきている。オバマ政権の態度がはっきりしないぶんだけ、一般の考え方のなかに復元力が働くのは米国の特質である。
これからは私も、政府内の人間でない特権を行使して、対中政策については、レアルポリティクに即して率直に発言しようと思っている。
<掲載誌紹介>
今月号の総力特集は、『朝日新聞』の8月5日と6日の慰安婦問題の検証記事について、弊誌としても検証し、日韓関係について考えてみた。池田信夫氏は自身がNHK勤務時にこの問題を取材した経験から、詳細に経緯をまとめている。「身売りを強制連行と書いたのは捏造か、控えめに表現してもねじ曲げであり、過失ではありえない」と結論付けている。また、水間政憲氏は1982年の吉田清治氏の「奴隷狩り」記事を裏付ける内容だった、1984年11月2日の『朝日新聞』の記事を紹介。でっち上げで世界を騙した吉田氏もひどいが、裏付けもせず記事を垂れ流した記者の責任も今後問われるべきだろう。
今月号はほかに特集が2本。特集Ⅰはバブル崩壊も囁かれる中国問題である。現在、ベストセラーに名を連ねる『中国の大問題』の著者であり、前駐中国大使の丹羽宇一郎氏に話をうかがった。特集Ⅱでは新しく誕生した「安倍改造内閣への提言」として、主に経済政策の方向性について考えた。
また、巻頭では、東京電力会長に福島復興と経営の立て直しをテーマにインタビューした。ぜひ、ご一読を。