轡田隆史の「心に効く話」~ていねいに生きる春夏秋冬
2015年02月06日 公開 2023年01月30日 更新
《『心に効く いい人生をつくる11行の話』より》
2011年6月から2014年12月まで、月刊『PHP』に連載しているあいだ、読んでくださる人がいる、ということに、ぼくはいつも励まされてきた。
文章を記すという作業は、読者と筆者の共同の仕事なんだと思い知りました。
この国の自然と人間の素晴らしさはもちろん、歴史や伝統の多彩さに心うたれる「小さな旅」の連続でした。
言葉というものの大切さ、深さは、たとえば散歩のおり、ふと耳にする会話に、ハッとすることしばしばでした。自然、人間、そして言葉の尊さに思いを馳せるほど、人生は豊かになっていくのではないでしょうか。
「心に効く いい人生をつくる11行の話」という題名のように、皆さんの暮らしをよりよくする一助になれば、うれしい。手紙やスピーチのお手伝いも、ちょっぴりでもできれば光栄です。皆さん、お元気で!
轡田隆史
月刊『PHP』の人気連載を書籍化した本書には、人生を彩る美しく尊い物事、季節の妙を感じる小話合計160話が、12カ月に分けて収録されています。ここではその中から一部をご紹介します。
月刊『PHP』には現在も連載中です。そちらも合わせてぜひご覧ください。
春 の話から
ことばの季節
風光る、という俳句の季語が好きだ。
藍色にかすむ遠い山なみにはまだ残雪がちょっぴり見えているけれど、わたしたちのまわりでは新緑がふくれあがって、風に木の葉がキラキラ光っている。
光っているのは木の葉じゃなくて、あれは風そのものが光っているのさ!
風は元気だ。光ったり、「風立ちぬ」のように「立ったり」するかと思えば、「渡ったり」するときもある。
日本語は元気だ。風を、まるで生きもののようにいう。竜巻は怖いけれど。
4月は、新しいことばを学ぶにいい季節だ。いくつになっても、新学期の気分を忘れたくないものだ。
大人もはじめはみんな子どもだったのだから。
猫の顔
俳句の春の季語に「猫の恋」というのがあるけれど、ヒゲのあるものどうしの恋とは、妙にこっけいでおかしい。
「猫」という漢字は、ケモノ偏に苗。苗は「ビョウ」と読んで、ネコの鳴き声を意味する。
「猫」という文字を見つめていると、やがてネコの顔に見えてきて、いまにも「ニャア」と鳴きそうになってくる。
では、ネコの顔を見つめていれば、「猫」という漢字に見えてくるかどうか……?
春日遅々として進まない夕べ、ノラを相手にそんな実験をしていれば、仙人になったような気分になれるかもしれない。
イヌ派には申し訳ないけれど、ネコという存在はまことに変幻自在である。
夏 の話から
夏の朝に
朝、門を出たらいきなり、
「お早うございます」
と声をかけられた。
道路工事をしている若い作業員が、あいさつしてくれたのだ。いささかあわてて、「お早うございます」と、あいさつを返した。大いにいい気分だった。
駅にむかって歩きながら、思いがけない朝のあいさつに、とっさに声を返せたのはよかったけれど、どうせなら、「お早うございます。ご苦労さま!」までいえばよかったのになあ、と反省した。
小学校の門の前でも、登校してくる子どもたちに守衛さんが、「お早う!」と声をかけ、子どもたちも元気に応じている。
「お早う」の声があちこちに響く夏の朝は、とてもさわやか。
「食う」モンダイ
夏の暑い日に汗をかきかき食ううなぎの蒲焼はサイコウである。電力モンダイの心配な夏はひとしおであるはずだ。
ところで、いまぼくは「食う」と書いたけれど、かつて新聞にそう書いたら、品位がない、と読者に叱られたことがある。
でも、うなぎを「食べる」ではあまり気分がでません。ここは元気に「食う」といいたいですね。
それに、歴史でいえば「食う」の方がはるかに先輩なのだ。「食べる」は、上位の者から下位の者が物をいただく、たまわる、たぶる、から変化したことばらしい。
といった調子で、うなぎを「食う」ときだって、ことばの歴史を想いたい。そうすれば暑さも忘れる。でも、うなぎはもはや貴重品だ。