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卑弥呼は旅行代理店の女社長だった?〜古代史の謎を解く

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長)

2015年02月21日 公開 2023年03月31日 更新

たくさんの巫女が必要だった? 

もめ事解消・よろず相談所

私は、50代の10年間、毎年のようにヨーロッパでクルージングを行った。延べ300人以上の友人、学生、NPOなどとともに、レンタルボートを借りてヨーロッパの多くの運河を渡航したのである。

いつも3隻の船を仕立てて20から30人で1週間ほどの運河の旅をする。気の知れた仲間が多いが、男友達だけでは、どうしても各々我がままになって、トラブルになる。最初は紳士であるが、2、3日経つと次第に地が出て、喧嘩をはじめる。そこで、常に女性に共に乗って頂くことにしていた。

「巫女」あるいは「女神」を乗せなかった1週間の男だけの船旅は、いつも惨憺たる状態になる。幾つかのアクシデントを紹介しよう。南仏のミディ運河では、参加した仲間で、「おれは外航船の航海士だ! 誰にモノを言っているんだ!」といった態度の人が、事故を起こした。

海図を読まず、酔っ払って操船し、モンペリエに近いタウ湖という湖でミストラル(秋口に吹く北風)に遭遇、船は流されて座礁した。また、漁民の網を切り、漁民に追っかけられたり、停泊中のよその船にぶっつけ破損し、保険の世話になったりした。海に落ちるのもプロを自称する人々で、5人ほど海や運河の中に落ちている。しかも、同じ人が複数回落ちている。そのほとんどが海の男である。時効になったので裏話をお聞かせした。

女性達に運河クルージングに参加して頂き、差配してもらうと、船団は楽しく進む。その端的な例は、ミディ運河クルーズの船火事であった。いつものように3隻をレンタルして旅をしていたとき、前日からエンジンの調子が悪かった船が、突如、エンジンから火を噴き出し、あわや、大惨事に。備え付けの消火器で消し、緊急停止。全員、恐怖を味わったが、東北NPO水・環境ネットの高橋万里子さんが落ち着き払って対応してくれた。

このような卑弥呼や神功皇后のようなにらみがきくシャーマンを乗せると、不思議に船内はもめないものである。デッキの中央に黙って座っている姿は、神功皇后が舳に立って船団を率いるが如く、船は神意を得て静かに滑るように動くのである。今は高校生になっている3歳の女の子が乗ったときも同じであった。
 

舎人親王の誤解が生んだ永遠の「耶馬台国」論争

舎人親王は大きな誤解をした。そもそも、舎人親王の時代より500年前の国家は、領土、国民、権力の3要素がしっかりしていない都市国家である。律令制度が始まった8世紀の日本とは違う。

交易・貿易の利害を共有する集団が集まって、連合体を作り「耶馬台国」と称して鉄を買いに渡ったと考える。難升米〈なしめ〉は毎年のツアーがうまくゆくように代表として朝貢したのである。見知らぬ者同士ではない。毎年、渡航する国も仲間もほぼ同じである。毎年のイベントの交易目的で集まる、数百名の仲間の組織を束ねた巫女の総代が卑弥呼であった。『魏志倭人伝』の陳寿は彼女を勘違いし女王とした。

そして、舎人親王は「女王はヤマト倭国にいなければなければならない」という先入観を持ち、『日本書紀』を編纂するに際して、大和朝廷の正統性を確固たるものにするための新しい系譜を創ったと考えられる。

卑弥呼は近畿ヤマト国の女王で、同時に九州で活躍していた誉田別命〈ほんだわけのみこと〉もヤマトの王でなければならない。2人を親子の関係とした神話編纂が行われた。この辺りは多くの先生方が書かれている。

近畿ヤマト国の女帝である神功皇后(卑弥呼)が朝鮮半島に遠征し、九州で生まれ、日本海で活躍した皇子が誉田別命──すなわち応神帝であるという物語が創られた。神話や伝説を、応神帝の経歴に結びつけたと考える。

『日本書紀』には、明らかに卑弥呼を神功皇后に比定している記述が存在している。『日本書紀』神功皇后摂政39年の条に「是年、魏志に言わく、明帝の景初3年の6月、倭の女王、大夫難升米を遣して、郡に詣りて、天子の詣らむ……」とある。さらに、舎人親王は、ここでわざわざ卑弥呼と書かないで「倭の女王」として、「卑弥呼は神功皇后である」と宣言したのである。

旅行代理店の女社長が、日本の鎮護を祈る神道の始祖として崇められた結果、1300年後のこの国の、地域の威信を賭けた縄張り争いになっている。8世紀に形成された日本の神道は、卑弥呼の鬼道とは次元が違う、もっと崇高なものであると考える。

私は、歴史の素人であるが、古代の海を旅して初めて気付いたことがある。どうも、この国の古代史研究は、大和朝廷の国土の統合と米作の農本主義の歴史観を前提としてはじまり、「農業民族としての日本」と決めつけ、それを前提に『日本書紀』や『魏志倭人伝』を読み解く学問として位置付けられ、現実とは違う国土観を恣意的に植え付けてきているように思われる。どうやら「歴史の既得権」が存在するようだ。

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