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「悩み依存症」人はなぜ、悩みつづけるのか

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2015年03月24日 公開 2024年12月16日 更新

「悩み依存症」人はなぜ、悩みつづけるのか

「あの人は、悩むのが好きなのかもしれない」そう言われるほど、いつも何かに悩んでいる人がいる。本人はとても深刻なようだが、なぜいつもそんなに悩みがあるのか。加藤諦三著『悩まずにはいられない人』では、悩みの本質は「すべて同じ」と加藤氏は語っている。私たちはどうしたら本当の平穏を得られるのだろうか。

※本稿は加藤諦三著『悩まずにはいられない人』(PHP新書刊)より一部抜粋・編集したものです。

 

いつも悩んでいる人の頭の中

悩んでいる人は、いつも何かに悩んでいる。そしていま悩んでいることが、悩みの本当の原因なのではない。「苦しい、つらい」と悩んでいることを通して、無意識に蓄積された怒りを間接的に放出しているのである。

だから悩んでいる人にとって、“悩んでいること自体が救い”なのである。「苦しい、つらい」と悩んでいることが安らぎなのである。「苦しい、つらい」と騒がなければ、蓄積された怒りを表現できない。「苦しい、つらい」と騒いでいることで、無意識の必要性を満たしている。

「苦しい、つらい」と訴えることの目的は何か。何かに失敗した。何かをなくした。しかし、事態を改善するエネルギーはない。かといって、現実を受け入れる心の能動性もない。

そうした場合、嘆いていることが心理的にもっとも楽である。「悩むまい」と思っても、悩まないではいられないのだから、それは悩み依存症である。悩むことはつらいし、自分のためにはならないし、悩まないと決心するけれども、悩まないではいられない。

アルコール依存症の人にとって、アルコールを飲むことは喜びではないし、自分のためにはならないけれども、飲まないではいられない。悩み依存症の人は悩むことを通して、無意識の欲求を満たしている。

蓄積された怒りや憎しみを表現している。だから悩むことは癒しなのである。自己憐憫していても人からいやがられるだけである。でも、自己憐憫する人は自己憐憫をやめない。

では自己憐憫することの目的は何か。そもそも自己憐憫する人は、自分が自己憐憫していることの目的に気がついていない。

 

恐怖感から、退行欲求にしがみつく

人は成長するためには安心感が必要である。安心感とは、恐怖感がないことである。恐怖感があると、退行欲求と成長欲求との葛藤で、退行欲求にしがみつく。

人間の退行欲求には時効がない。何十年経っても驚くほどしつこく残っている。権威主義的な親のもとで成長した人などは、小さい頃には恐怖感に苦しんでいる。安心感がない。

したがって、大人になってもしっかりと退行欲求を持っている。高齢になっても持っている。この退行欲求と、成長欲求の葛藤を自分の中で意識化していかないと、本人が「嘆いていてもどうしようもない」と分かりつつ、嘆き続ける。

しっかりと自己分析しないと「自分はなぜこんなにまで嘆き続けているのか?」ということが理解できない。しっかりと自己分析していけば、自分から成長能力を奪った人が見えてくる。

それが見えてくれば次には生きる方向が見えてくる。退行欲求にしたがって生きている人は、現実が厳しい時でも心理的には居心地が良いから変わりたくない。

嘆いている人は、現実の困難に際して自分を変えることを、無意識に拒否している。だから目の前で起きていることに対処しないのである。「悩んでいる人には解決の意志がない」というのはそういうことである。

解決するには、いまの心理的な居心地の良さから離れなければならない。悩んでいる人にはそれができない。「つらい、つらい」と言いながら、変わる努力を拒否して退行願望にしがみつく。

それが「自分を変えることを無意識に拒否する」という意味である。「私は変わることを拒否して、嘆いている」ということを意識化することが大切である。

 

嘆いているほうが心理的に楽

なぜ悩み続けるのか?それは問題の解決に努力するよりも、問題を嘆いているほうがはるかに心理的に楽だからである。問題の解決に向かうためには、その人に自発性、能動性が必要である。

しかし問題を嘆いているのには、自発性、能動性は必要ない。何よりも嘆いていることで退行欲求が満たされる。問題を解決しようという態度は、成長動機からの態度である。

人が成長動機で行動するか、退行動機で行動するかという時に、退行動機で行動するほうがはるかに心理的には楽である。だから人は嘆いているのである。解決する方法がないのではない。しかしそれよりも退行欲求にしたがって嘆いているほうが居心地良い。

悩んでいる人はだいたい退行欲求にしたがっているから、対処能力がない。いまの問題に対処すれば対処できる、解決できる。それなのに嘆いているだけで対処しない。

恋人や友人から「このようにして対処したら良いのではないか」という提案すら不愉快である。嘆く人というのは、嘆くことで退行欲求を満たしているのである。

嘆いている人自身、「嘆いていてもそんなことは何の解決にもならない」と分かっている。しかし嘆いていることで、退行欲求が満たされているという心地良さはある。もちろん嘆いている人がそう意識しているわけではない。

したがって退行欲求が満たされて、成長欲求で行動している人にとっては、いつまでも嘆いている人の気持ちが理解できない。心理的健康な人が、うつ病者を理解しにくいのはこの点にあるのだろう。

うつ病の顕著な動機の特徴は退行的性質である。うつ病になれば、この退行欲求とか依存性の問題はいよいよ深刻になる。アメリカの精神科医アーロン・ベックは、うつ病者の動機の特徴として自殺願望などと同時に増大する依存性という表現をしている。

そしてこの増大する依存性はどこから来るのか。自分で自分の問題を解決できないと感じているからである。多くのうつ病者は自分を世話してくれ、自分の問題解決を助けてくれる人を、強く望んでいる。

うつ病者の認識の特徴である低い自己評価と、動機の特徴である増大する依存性は深く関係している。嘆いている人の心の底にはさまざまな心理が複合して働いている。つまり嘆いている人は、そう簡単に嘆くことをやめられない。

 

悩みは“死ぬまで”なくならない?

嘆いていることは心理的にいろいろなメリットがある。低い自己評価を乗り越えることができれば、増大する依存性も解消できる可能性がある。うつ病者の低い自己評価を克服することは、うつ病者の治療にはどうしても必要なことである。

ただそう言われても、自己評価を上げることは難しい。「つらい、つらい」「苦しい、苦しい」と嘆いていて、行動を起こさない人の心の底にも同じように低い自己評価と増大する依存性があるのだろう。

増大する依存性とは、いよいよ退行願望とか退行欲求とかが激しくなるということである。つまり「嘆いていても、何の解決にもならない」というようなアドバイスはますます無意味になる。

ますます相手を不愉快な気持ちに追い込む。周囲の人はまず、いつも嘆いている人が「なぜ嘆いているのか」の心理を理解することが必要であろう。退行動機で行動した人が、妨害されると深く傷つくだろう。

子どもが何かをした時に親は誇大に褒める。そこで子どもはそのように褒めてくれるだろうと期待してあることをした。ところがその褒め言葉がなかった。すると深く傷つく。

成長動機を持っているか、退行動機を持っているかで同じ物事は違って見える。子育ての苦労は、親が成長動機で子どもを世話しているか、退行動機で世話をしているかでまったく違ってくる。

アーロン・ベックは、積極的な動機の欠如は、うつ病の顕著な特徴であるという。小さな障害か大きな障害かは、その人の動機によって異なってくる。成長動機で親切にした人と、欠乏動機で親切にした人とでは、相手が感謝をしなかった時の心理的反応は違う。

成長動機で親切にした人は感謝されなくても不満にならないが、欠乏動機で親切にした人は、感謝されないと不満になる。要するに、成長動機で動けば、苦しみは軽減するということである。つまり自分が生まれ変われば嘆き病は治るということである。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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