三越伊勢丹社長・大西洋の仕事術―ブランド力は「現場」から
2015年06月05日 公開 2022年08月08日 更新
大切なことはお買場(売場)で教わった。
辞める覚悟を持って臨んだ「メンス館」のリモデル・オープン
伊勢丹は、1968年に「男の新館」をオープンしました。
しかし、私がバイヤーに戻った当時の紳士服は量販店全盛の時代で、男の新館は求心力を失っていました。ただ、こだわるお客さまは絶対にいる。そういう方は男の新館に足を運んでくださる。そう思っていました。
実際、当時の都内23区の百貨店における紳士服の売り上げ1200億円のうち、男の新館はおよそ300億円の売り上げがありました。つまり4分の1です。百貨店でショッピングをする男性の4分の1の人は、いわゆる一般的なお客さまよりも、そうとうなこだわりを持った人たちではないか。そう感じていました。
ただ、300億円のうち7割は女性の代理購買です。したがって、自ら男の新館に足を運ぶ残りの3割の男性は、さらにこだわりを持った人たちなのではないか。その人たちが反応して明確に数字に出たのが、エドワードグリーンだったのではないか。
お客さまの傾向と投入した時期がうまく噛み合ったのか。もっと前からそういう兆候があったのに自分たちがそれに気づかなかっただけなのか、それはわかりません。ただ、リモデルを行う5年ほど前からこの検証をやっているので、少なくとも私がスーツのバイヤーになったころにはそういう兆候をつかんでいました。
「既存のプライスラインを超えるごとができれば、必ずチャンスはある」
たしかに、決断のスピードとしては、決して早いとは言えません。
ただ、メンス業界が決していい状況ではないなか、45億円という投資に踏み切ったことは英断だと思います。しかし、当時のアナリストからはその決断は間違っていると指摘されたと、武藤がこぼしていました。
「たまたま成功しただけで、当時の紳士服に50億円近い投資をするという判断は、やっぱり間違っている。結果が出たあともそう言われたよ」
そういう意味では、イレギュラーで賭けにも似た判断だったのかもしれません。しかしながら、メンズの新たなマーケットを開拓できたのは非常に大きかったと思います。
リモデルの条件として、武藤にこう言われました。
「現在の25%のシェアを33%にせよ」
そして、さらにこう問いかけられました。
「覚悟はあるのか」
50億円近い投資をするのですから、それを提案してきた担当者に覚悟を問うのは、当然のことです。私たちは、躊躇なく答えました。
「あります」
決意を見せるためのポーズではありません。本当にこれだけの金額をかけてもらい、いままで陽の目を見なかった紳士に注目してもらったのですから、想定どおりの売り上げを挙げられなかったら辞める覚悟を持って臨んでいました。それは私だけでなく、当時の上司も私の下で一緒にやった部下も、同じ気持ちだったと思います。
売り上げに関する覚悟もさることながら、どういう店づくりをするかということにも、覚悟を持って臨みました。ベンチマーク(基準)にしたのは、ニューヨークで超一流のデパートと高く評価されるバーグドルフ・グッドマンのメンズ館です。
当初イメージした店づくりをやり通すことが、自分たちの覚悟だと思っていました。つまり、それをやりきることができれば売り上げは上がる。そういう意味での妥協をしないという覚悟でもありました。
しかし、プロジェクトはそう簡単には進みませんでした。
バーグドルフ・グッドマンのイメージが、デザイナーになかなか伝わらなかったのです。什器も全体の統一感を重視したので、他の店との差別化を図りたいお取組先には、なかなか理解してもらえません。上司やチームメンバーとのあいだでも、意見の食い違いから毎日のように激しい議論になりました。
そのかいあって、2003年9月に「男の新館」から名前を変えてリモデル・オープンした「メンズ館」は、好調なスタートを切りました。初年度は前年比10%増の売り上げを記録し、翌年には400億円近くまで売り上げを伸ばしました。
都内百貨店の紳士服の売り上げは、いまも変わらず1200億円です。リモデルの条件として武藤と約束した[25%のシェアを33%にせよ]という約束を、無事果たすことができたのです。
次のページ
三越伊勢丹にとってプラスになることは社長が直接やるべき