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生き方

井上ひさし ふかいことを おもしろく

井上ひさし(作家/劇作家)

2011年05月26日 公開 2024年11月07日 更新

 

デジタルの時代に

手が記憶する
記憶した手で新しいことを作っていく

「手が記憶する」、これはゲーテの言葉です。手で書いたことは忘れないのです。たまに引用や原稿の控えを残すときにワープロを使うと、その内容はつい忘れてしまいます。あまり内容を理解しないで作業としてやっているからなのです。

しかし、手書きだと書いていくうちに何か残るのです。手が記憶するって、本当にそうだと思います。

僕はパソコンを使いません。携帯電話も持っていません。メールはもちろんやりません。原稿は、整理する段階ではワープロを使いますが、基本的には手で書いています。それは、「手が記憶する」という言葉を信じているからかもしれません。

ピアニスト、竹細工の職人、なんでもいいのですが、特に「手の職人」は、手が覚えているという感覚が強いと思います。僕が通う寿司屋のおやじさんは、もうかなりのご高齢ですが、パッとつかむ米粒の量は毎回ほとんど同じです。右手でシャリを取って、量を調整するように3、4回つかみ直して、左手でネタを整えて。そういうのが、人の技というか人間の本来の姿だと思います。

人間にとって機械は、ある程度のところまでは手の延長だったのですが、だんだんと手を抜きにしていくようになり、やがて頭と手がただの道具になってしまうのは、ちょっと嫌だなと思っています。

携帯電話は、あったらすごく便利だろうとは思うのですが、自分のではなく、誰かの意志でバシッと時間を切られるのが、かなり厳しいと感じています。

僕の場合は、むしろ電話が来ると困る仕事と言えるからかもしれません。特に追いこまれてグーッと入りこんでいるときに、不用意に仕事を断ち切られると、立ち直るのにまた30分ぐらいかかってしまうからです。だから、仕事場には電話や機械を持ちこまないと決めています。

パソコンで探せる情報というのは、すごいものがたくさんあるらしいのですが、まだ本で蓄積されているものの方が、ずいぶん多いのではないかと考えています。確かにその場で探すのはとても早くて便利ですが、ひとつ掘り下げるとなるとまだ本の方がいい。

本とは、人類がたどり着いた最高の装置のひとつだと思います。それを簡単に手放すのはどうかと思うのです。やっぱりそれを大事にしたいという思いと、じつはどこかでまだパソコンを信用していない自分がいます。やっと集めたものが、ある朝一気にどこかにいなくなっちゃうような気がしているのです。

パソコンは、とても優れた道具で、そこからまた新しい何かが始まるとは思いますが、僕のような年になって、慌てて若い人のスタイルに馴染むには、時間がもったいないでしょう。僕は、今まで通りの「手」でいきます。残された時間を考えると、記憶した手で新しいことを作っていく方がいいのではないかと......いや、あえてそうしたいと思っています。

 

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