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社会

いまこそサヨクの価値を見直すときがきた!

島田雅彦 《作家》

2015年11月17日 公開 2015年11月26日 更新

 

サヨクの価値

 戦後の政治的経緯を振り返ると、いまこそサヨクの存在価値を見直すときが来たと思う。日本には共産党という自民党よりも古い歴史を持つ政党があって、政権を取ることはなくてもブレない野党として、異議申し立てをし続けている。国会論戦での志位和夫委員長は舌鋒鋭く、発言も真を突いている。

 現実世界では、サヨクは一見無力に見える。ウヨクのようにとりあえず我慢して世代交代や論功行賞を待っていれば、いつかポストが回ってくるというわけではないし、官僚を使ってうまく立ち回ったり、政策実行能力が高かったりするわけでもない。最大の弱点は一枚岩になりにくいという点で、そもそも個人主義だし、同じサヨクでも立場や言論の違いによってかなりの温度差があり、内部分裂を起こしやすい。大義名分のために個人の主張を捨てて団結するということが少ない。

 例えば、イタリアのインテリのあいだでは、ベルルスコーニを絶対に首相にしてはいけないという共通の思いがある。にもかかわらず、左派連合がうまくいかずに何度も彼は首相の座に返り咲いている。ベルルスコーニが選挙に負けるのは、左派連合が成功したときだ。日本でも同じことがしょっちゅう起きていて、最近では都知事選で反原発を掲げる候補者が票を食い合っていた。

 野党共闘が困難な現状で、最も現実的なのは、やはりイタリア式の野党連合「オリーブの木」を実現させることだろう。民主党、維新の党の反安倍勢力、共産党、生活の党の議員たちが反自民票の受け皿になる「野党連合」を結成し、候補者たちがその名簿に名を連ね、選挙に臨むことではないか。実際、共産党は次の選挙で野党各党に選挙協力を呼びかけている。内ゲバ体質返上は急務なのに、政策の違いに拘泥している。過去4度の選挙から何も学ばなかったのか?

 時代を振り返ると、「なぜあのとき声を上げなかったのか」「間違った方向を正すことができなかったのか」という局面に出合うことがある。確かにサヨクは主流派にはならないかもしれないが、おかしいと思うことに声を上げてこそ存在価値がある。

 いま、戦争に前のめりになっている安倍政権の政治的決定は、国家を自殺に追いやるようなものだ。むろん、国家の自殺に巻き込まれるのは市民であるから、政権に異議申し立てをするのは当然である。その権利は大学生も高校生も、老人も芸能人も公務員も誰もが等しく手にしているものだ。路上という開かれた場所で、40年ぶりに市民が戦争反対や憲法擁護を叫ぶようになったことには、大きな意味がある。こうした変化の芽が摘み取られないよう、また日本の未来を真剣に考える機会が今後も継続的に維持されることを願わずにはいられない。

 このような至極真っ当な正論をアウトサイダーの小説家が呟つぶやかなければならないこと自体、日本は末期症状を呈しているのである。政治がバランスよく機能していれば、小説家は異端でいられるし、安心してコトバの多様性を拡大できるのに。

優しいサヨクの復活

著者紹介

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

作家

1961年東京都生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。1983年大学在学中に書いた『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補となり作家デビュー。1984年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞。1992年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞。2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞。2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2010年下半期より芥川賞選考委員となる。現在、法政大学国際文化学部教授。他の作品に『佳人の奇遇』『悪貨』(以上、講談社)『英雄はそこにいる』(集英社)などがある。

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