なぜ、日本画が輝きを失ってしまったのか
2016年03月29日 公開 2024年12月16日 更新
PHP新書『モネとジャポニスム』より
子供たちの授業に日本画教育を持ち込ませなかったGHQ
日本の美術教育は非常に偏かたよっています。敗戦後、美術の教科書には日本画の記述が極端に少なくなっています。日本美術や日本美についての感性や自国が誇るべき精神性をすべて、西洋の美術、あるいは考え方に置き換えられてしまったのです。
小学校・中学校の義務教育の美術で、日本画材を見たことがある生徒はほぼ皆無だと思います。絵を描くのはいつも絵の具。油絵の具までではないにしろ、種類も豊富な日本画材を一度も目にしないまま大人になるのです。
私はNHKのテレビ番組で母校を訪ねたことがあります。そこで後輩の小学生たちに美術の授業をしたのですが、私はみなにいつもどおり水彩で自分の顔の絵を描いてもらい、今度は筆と墨で絵を描いてもらいました。すると彼らはみな、目をキラキラさせて筆に墨を取り、スラスラと絵を描いています。最後に「絵の具と筆、どちらが楽しかった?」と聞くと、多くの児童が「筆!」と答えるのです。これは私の確信犯的実験でもありました。日本人の心の奥にある筆に対する愛情を導き出したいと思ったのです。
ここからもわかるように、教育とは決して一方向に偏ってはいけないのです。戦後、GHQが、日本人が国粋化するようなことはいっさい教えないと決めて、最も感性の鋭い、のちの人生に影響を与える子供たちの授業に日本画教育を持ち込ませなかった。そのひずみが日本画を世界画にしない理由のひとつだと思います。鋭い感性をもつ時期に、自分の身に日本画という世界を採り入れられない子供たちは、気の毒です。非常に残念ですが、日本画というジャンルを初めて目にするのは美術大学に入ってから、というケースが多いのも事実です。それも日本画を専攻したら、という仮定形です。
教育の偏りによって、日本画を知ることができない。知らないから日本画を勉強しようと思わない。つまりは日本画家の分母が少ないということです。また、子供のころから西洋画を中心に教え込まれるから、日本画よりも西洋画のほうが上だと考えてしまう。日本画を知る機会を与えられていないのです。西洋画と日本画を同等に教えられて、やはり西洋画のほうがいいと考えるのと、日本画をあまり教えられずに西洋画がいいと思うのでは、答えこそ同じですが、雲泥の差があります。
日本人である以上、日本画を描く才能は誰にだってあるはずです。ここは装飾文化の国。正月や盆など祭りごとが溢れています。生活のなかに伝統的な装飾美が溢れているのです。その感性をもって、根底のところでもっときちんと日本画教育がなされていたなら、大きなオリジナルの芸術が生まれてくるはずです。
日本画という非常にオリジナリティある芸術が、もっともっと正しく教育されることを願ってやみません。
平松礼二(日本画家)
1941年、東京都生まれ。愛知県で育つ。89年、第10回山種美術館賞展・大賞を受賞。94年、多摩美術大学造形表現学部教授に(~2006年)。2000年、MOA美術館大賞を受賞。2000~10年、月刊誌『文藝春秋』の表紙画を担当。現在、無所属。一般社団法人日本美術家連盟理事。16年より、順天堂大学国際教養学部客員教授。平松芸術は従来の日本画の枠にとどまらない普遍的な世界的絵画の世界に到達しており、「平松はモネの視点に日本の伝統美を加え、新たな世界を見せてくれる画家」だと、海外で絶大な人気を誇る。画集などのほかに、共著で、千住博氏との対談集『日本画から世界画へ』(美術年鑑社)がある。