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二十六世観世宗家・観世清和 継ぐべきはその精神である

『衆知』編集部

2016年06月12日 公開 2023年01月19日 更新

二十六世観世宗家・観世清和 継ぐべきはその精神である

 

『風姿花伝』と観世宗家

室町時代から続く観世流。6世紀以上にわたって伝統を守り、芸と一座を繁栄させ続けられているのには理由がある。観阿弥・世阿弥父子から代々受け継がれてきた「哲学」があるからだ。観世家に伝わる『風姿花伝』には、偉大なる父を失い、一座を率いる重責を担った世阿弥が、芸人として、組織のリーダーとしていかに生きるかを悩み、考え抜いた心構えが記されているという。二十六世宗家がその真髄を語る。

※取材・構成:阿部久美子
※写真撮影:山平舎、吉田惠美
『衆知』2016年5・6月号、特集「難局を打破する組織力」より一部抜粋

 

継ぐべきはその精神である

観世流家元は基本的に世襲制です。しかし、世襲だからといって力のない者に継がせることはありません。

『風姿花伝』の末尾、「別紙口伝」にはこう記されております。

「たとへ一子たりといふとも、無器量の者には伝ふべからず。家、家にあらず、次ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」

たとえ後を継ぐべきわが子であっても、力のない者にはこれを伝えてはならない。たまたまその家に生まれたから家の継承者になるのではなく、継ぐのはその道の真髄を知る人でなければならない、とあるのです。

継ぐとは、その家ないしはその組織の根幹となる精神、哲学を継ぐ、ということです。例えば、松下電器産業は「Panasonic(パナソニック)」という社名に変わりましたが、松下幸之助翁の精神、その経営哲学をきちんと理解している人たちに引き継がれてゆけば、会社の理念は継続できるわけです。そのような人がトップにならないといけません。どんなによい会社であったとしても、その根本にある精神、大事なところがわかっていない人は、その道の真髄を知る人とはいえないのです。

組織を率いる者は、やはりみずからの姿勢でお手本を見せなければなりません。私はそれを先代家元である父の姿から学ばせてもらいました。

先代の楽屋での居ずまいの正しさ、それは凜として美しかった。また、舞台における清潔感、演目のお役によっては深い業の世界を演じながらも清らかさを表現できる姿に、とても感動致しました。それは今私が教えようとしても、言葉で伝えられるものではありません。私も自分の姿でそれを示せるようになりたい、いや、ならなければならない、と強く思ったものです。それもまた、継ぐべき精神の一つだと思います。

人の上に立つ人間は、みんなから「あの人の姿勢を見習いたいものだ」と思わせられないと駄目だと思うのです。舞台の上だけではなく、日々の姿勢や行ないが、そのままメッセージになり、教えになります。

 

頭でわかろうとするのではなく、身体で覚える

観世家では、「継ぐ」とは単に家督を担うことではありません。先祖の墓守から観世家でやらなければならないことまで全部まとめて継ぐのです。能は元々神事から始まっておりますので、土地の神、五穀の神を祀るという勤めもあります。こうした家の社稷を守るのも、継承することの一部です。

私の息子は現在高校生です。私は息子に「おまえは将来、家元になる人間だぞ、しっかりやれ」などと言ったことはありません。しかし、観世宗家の勤めとして何をするのか、脇に控えて見させております。

また、蔵には世阿弥も使ったであろう面や世阿弥自筆の『風姿花伝』がございますが、黙ってそれらのものを見せております。そのようなことの中で、責任感を育んでもらいたいのです。

家庭ではごく普通の父と子ですが、稽古場ではその関係は師匠と弟子、きっぱりと線引きして厳しい稽古を繰り返します。

能の稽古の基本は、身体で覚えることです。例えば扇子を持つ手の角度。その具合が悪い時には、「しっかり見ておきなさい」と手本をやって見せます。「右、15度上げなさい」といった理屈で説明するのではなく、具合のよい手とはどうするのかを見て、自分自身でつかまなければなりません。それは五感で感じ、身体で覚えるしかないのです。

謡も弟子と一対一で向き合って稽古を致します。謡って聞かせますが、「耳で聞くな」「謡は身体で浴びるのだ」と教えます。師の謡を浴びて、自分で感覚をつかむまでやる。その繰り返しです。

浴びて、真似る。浴びて、真似る。「学ぶ」の語源は「真似る」です。まさに真似て学び、コツコツと身体で覚え込む。それが能の稽古、修業です。そのように型を知り、決まりを知り、「こういう時にはどうしたらよいのか」を自分で会得してゆくのです。舞も謡もお囃子もすべてそうです。能は「和」の総合芸術だと申しましたが、頭で理解するのではなく、日々の鍛錬の積み重ねによって身体の中に「知」が培われてゆきます。

 

二十六世観世宗家・観世清和(かんぜ・きよかず)
1959年東京生まれ。父は二十五世宗家 観世左近元正。90年家元継承。室町時代の観阿弥、世阿弥を祖とする能楽観世流の二十六世宗家として、現代の能楽界を牽引する。国内はもとより、海外公演および「阿古屋松」等の復曲、「利休」「聖パウロの回心」等の新作能にも力を注ぐ。(一財)観世文庫理事長、(一社)観世会、(独)日本芸術文化振興会評議員などを歴任。重要無形文化財総合指定保持者。芸術選奨文部大臣新人賞、芸術選奨文部科学大臣賞、伝統文化ポーラ賞大賞を受賞。フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。2015年紫綬褒章受章。

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