天分に生きるところに幸福がある~松下幸之助の目指した幸せのかたち
2016年06月21日 公開 2024年12月16日 更新
人間の天分とは?
昔から“好きこそ物の上手なれ”と言います。好きなことには時間や疲れも忘れて熱心に努力するので、上達しやすいという意味でしょう。なるほどそうした事例はしばしば見られます。お互いの体験にも当てはまることがあるのではないでしょうか。国語、数学、英語、理科などの学校のテストでは、やはり好きな教科ほど成績はよく、地道な指づかいの練習が欠かせないピアノやギターでも、好きな人ほど飽きることなく繰り返し練習するため、上達が早いものです。好きになることは、何事においても上達のコツです。そして好きなものが上手にでき、それを仕事や暮らしの中に生かせるなら、これほど幸せなことはないと言えるでしょう。
しかし一方で、“下手の横好き”とも言います。下手なのになぜかその物事がとても好きという人を指す慣用句ですが、このような姿も実際、身近な人の中に少なからず見受けられます。将棋好きだけど強くない、野球が大好きだと言う割にプレーはいまひとつ、好きでずっと絵を描き続けているのにあまりうまくない……。努力して成果があがらなければ嫌気がさすのが人情です。にもかかわらず好きでいられるというのは、かなり強い思いがあるからに違いありません。
では、どうしてそれほど好きなのに、なかなか上手になれないのでしょうか。いろいろ原因は考えられますが、一つには個々人の特質や適性、才能ということがあると思います。
一人ひとり顔かたちが異なるように、生まれながらにしてみな持ち味や特質が違うと松下幸之助は言います。それは天から分け与えられた天分であり、自分で選べる類のものではありません。ある人には音楽家や画家といった芸術の天分が、またある人には経営者としての天分が、さらに人によって政治家、技術者、教師、医者等の天分が、運命として与えられていると言うのです。この天分と好きなことがマッチしない、結果的に好きなのに上達しない。本来は自分の好きなことと天分がぴったり合えばよいのですが、残念ながら思うようにはいかないのがこの世の常。それが人生の妙味なのかもしれません。
松下は、このように異なった持ち味や特質が与えられているのは、それぞれ異なった仕事をし、異なった生き方をするように運命づけられているからだと言っています。たとえば猿として生まれれば猿として生きる、魚として生まれれば魚として生きる。また同じ魚でも海で生きる特質を備えた魚は海で、川魚は川で生きていくことがさだめられたあり方であり、その中に幸せがある。人間も同様でしょう。
また、仮にある人が幸福になったからといって、皆がその人のしたとおりにしても幸福になれるわけではありません。そこには天分の違いがあるのですから、いくら真似しても同様の成果はあがらないのです。松下は著書で次のように記しています。
「先年、経営者なりビジネスマンの間で徳川家康の本を読むことが流行しました。徳川家康のやり方はこういうことがいい、経営の上にも大いに役立つというので、私の周囲にもそれを読む人がたくさんいました。ある友人は私に『きみ、あれ読んだか。面白いぞ』とすすめてくれましたので、私はこういったのです。『きみ、家康の本は面白いかもしれんが、そのとおり真似しようと思って読んだかてあかんと思う。ぼくは家康とちがうんやから、家康やったらできることでも、家康でないぼくがそのとおりしたら必ず失敗する。だからきみも、それを一つの興味として面白く読むんなら読んでよろしい。しかしそれを真似しようとしたら、うっかりすると失敗するぞ』と」
つまり、おのおのの天分に適した仕事なり生き方なりをしてこそ存分に力が発揮でき、働きがい、生きがいを味わいつつ生きていくことができる。そこに一つの幸福のかたちがあるというわけです。好き嫌い以上に、まずは自分の天分を見極め、それを生かす行き方を求めるようお互いに心がけていきたいものです。
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