秋田発のイノベーションと地方創生
厳しい経営環境
五能線を管轄し、日本一の観光路線へと変貌させたのは、JR東日本秋田支社である。秋田支社の現場力があったからこそ、五能線は「奇跡のローカル線」と呼ばれる存在となった。
しかし、その秋田支社はけっして恵まれた支社ではない。自然環境の面でも、経営環境の面でも、最も厳しい支社である。
秋田支社は収入ベースで見れば、JR東日本で一番小さな支社だ。全社の収入のわずか1%にすぎない。
にもかかわらず、その管轄エリアはとても広い。秋田市を中心とする中央地区、横手、大曲を中心とする県南地区、東能代、大館を中心とする県北地区、そして青森県の西半分、弘前、五所川原を中心とする津軽地区の4地区にまたがる635.1kmの路線を管轄している。
JR東日本の総キロ数は7458km。収入ベースではわずか1%だが、キロ数で見れば約8.5%を占める。その位置付けはけっして小さくない。
しかも、大雪、強風など自然環境はきわめて厳しい。そうした中で、安全・安定輸送を守らなければならない。
管轄している路線は七つ。幹線は奥羽本線と羽越本線、そして五能線、田沢湖線、男鹿線、北上線、花輪線の計7線区である。
これだけ広範囲のエリアに142もの駅がある。しかし、それらすべてを足し合わせても1日あたりの乗車人員は約4万7000人。これは山手線の駒込駅とほぼ同数である。
秋田支社全体の乗車人員数が、都内の一駅と同じという現実。地方がいかに人口減少・流出、深刻な過疎に喘いでいるかが、この数字だけで読み取れる。
観光路線として人気の高い五能線も、単独の収支で見れば厳しい状況であることに変わりはない。『徹底解析‼ JR東日本』(洋泉社MOOK)によると、同社の路線別旅客運輸収入(営業キロ1kmあたり)ランキングによると、五能線は全69路線中59位。
「リゾートしらかみ」の奮闘で改善はしているが、五能線とほぼ同じ営業キロを走る総武本線の約300分の1でしかない。これが都市部と地方の格差の現実である。
五能線以外の秋田支社管内のローカル線も、同様に採算は厳しい。男鹿線は45位、花輪線は61位、北上線は62位と、路線単独の収入だけで見れば底辺に張り付いている路線ばかりである。
地域に生きる
経営数字だけで見れば、とても厳しい状況にある秋田支社だが、それは秋田支社の一面にしかすぎない。実は、この支社はJR東日本の中でも活性化し、元気な支社のひとつである。
地方の不採算支社がなぜ元気なのか。その理由は、JR東日本の「グループ経営構想V」を見ればわかる。
2012年に打ち出されたこのグループビジョンの中で、コンセプトワードとして打ち出されているのが、「地域に生きる。世界に伸びる。」である。
「地域に生きる。」とは、公益企業として地域に根ざした経営をするということだ。企業として利益を確保することはもちろん大事なことだが、それと同等に地域を元気にすることがJR東日本のミッションとして掲げられている。
そして、その思いは東日本大震災によってより一層強固なものになった。この震災によって、JR東日本も甚大な被害を受けたが、早期復旧に向け全社は一丸となった。
震災発生から49日目、東北新幹線が全線で運転を再開した4月29日、秋田新幹線「こまち」の下り一番列車を、地域の多くの人々が「おかえりなさい」と沿線で手を振って迎えた。震災は、社員たちが自分たちの仕事の使命や地域から寄せられる期待の大きさを実感し、再認識する機会にもなったのである。
鉄道会社の存立基盤が、健全で活力ある地域社会であることはいうまでもない。しかし、JR東日本が根ざす東日本エリア、特に地方はさまざまな課題に直面している。
地域の一員として、地域のあるべき未来を共に考え、元気な地域を築くために「JR東日本だからできること」を実行したい、というのが「地域に生きる」の意味だ。そして、秋田支社はまさにその橋頭堡のひとつなのである。
2014年12月に秋田支社を訪れた冨田哲郎社長は、社員たちに向けた講演の中でこう述べている。
「少子高齢化や人口減少は、秋田だけでなく日本全体の問題だ。どこかが取り組まないといけない。秋田でできれば自信になる。秋田から日本をつくり変えるという気構えで頑張ってほしい。秋田支社には地方支社のお手本となってほしいと思っている」
経営トップの熱い思いを受け止めた秋田支社の社員たちは、生き残りのためだけではなく、「地方創生」のお手本を示そうとして日々奮闘している。それは単純な支社の枠組みにとどまらない、日本全体が抱える課題に挑戦しようという壮大な試みでもある。
秋田支社が売上高や利益で全社ナンバーワンになることはできない。しかし、オンリーワンの存在になることはできる。
経営数字的に見ればたとえ小さくても、他の支社の先駆けとなる新たな価値を生み出すことができれば、光り輝く存在になれる。それを証明することが、秋田支社の使命なのである。
「秋田発」のイノベーション
実際、秋田支社はこれまでにいくつもの秋田ならではのイノベーションを生み出してきた。イノベーションとは「新たな価値」の創造のことである。
「五能線」こそがその代表例である。廃止の危機までささやかれていた地方の赤字ローカル線を、観光路線として蘇らせた。
五能線が持つ潜在的な魅力を引き出し、単なる「地域の足」という生活路線から、まったく異なる価値を持つ魅力的な「商品」へと生まれ変わらせた。これはまさに鉄道事業におけるイノベーションそのものである。
使い古された車両を改造する。沿線の自治体と連携し、新たな「観光メニュー」や独自サービスを次々に開発する。地に足の着いた観光開発を粘り強く展開する。こうした秋田支社の地道な取り組みが積み重なって、五能線は奇跡の復活を遂げた。
「リゾートしらかみ」の前身である「ノスタルジックビュートレイン」のオープン型眺望デッキは、JR東日本初の試みだった。「蜃気楼ダイヤ」や「サービス徐行」などの独自サービスも、それまでの鉄道の「常識」を覆す画期的な取り組みだった。
10以上もの自治体と一体となって、広域観光を実現させた五能線沿線連絡協議会の取り組みも、観光による地方活性化のお手本としてよく知られている。
五能線は現場発の小さな知恵の積み重ねによって生み出された「新たな価値」に他ならない。
今でこそ趣向を凝らした観光列車が日本全国を走る。しかし、その先駆けとなったのが、まさに五能線なのだ。