世界大学ランキングトップ100をめざす広島大学の挑戦
2016年08月23日 公開 2016年09月05日 更新
世界大学ランキングを無視できない理由
では、はたしてTHEの世界ランキングは、どのように決められているのだろうか。
THEのランク付けは、インターナショナルな教員・留学生の在籍数や論文被引用数、教育環境、他国の研究者との共同研究などといった13の指標によって評価された結果だ。だが英語による論文を対象とするなど、英語圏の大学が圧倒的に有利だという批判もある。
また評価の中に、数値だけでなく主観的な評判も含まれている、という指摘もある。各国の学者からアンケート調査した結果を集めて教育内容や研究に対する評判を評価し、それらを指標の1つに入れているからだ。この、評判をもとにした評価のウエイトがその他の項目より大きいことも、問題として指摘されている。評判による評価のウエイトが高くなればなるほど、極東の島国にある大学は不利になる。欧米の研究者や学者との交流など英語によるコミュニケーションが、日本の大学は欧米の大学に比べて少なくならざるを得ないからだ。
THEが毎年発表する「世界大学ランキング」とは、実はこうした限られた指標による英語圏に有利なランク付けだと見ることができる。
しかし、それらのことを理由にして、THEの世界ランキングを無視することはできるだろうか。残念ながら、現状はそうなっていない。それは、THEの世界ランキングでの順位が大学の評価に大きな影響力を持っている現実があるからだ。学生情報機関IDPの調査では、THEは世界で一番広く用いられている大学ランキングだという。
例えば留学を考えている学生は、THEのランキングを見てどの大学に進学するのか決めるかもしれない。
企業や研究所が、共同研究の相手を選ぶ時の一助にすることもあるだろう。あるいは世界の最先端研究を担う人材が、ランキングによって世界に振り分けられていくとすれば……。
そう考えると、世界ランキングの中で日本の大学が順位を落とし、存在感を薄めていく現状を、黙って見過ごしているわけにはいかない。
とりわけ国からの運営費交付金によって営まれている国立大学は、今の世界ランキングの現状を黙って受け入れてはいられないはずだ。「今後10年で、世界大学ランキングトップ100に10校ランクインを目指します」と安倍首相が宣言した目標に向かって、それぞれの強みを活かした国立大学としての取り組みが求められるだろう。
国立大学は、法人化によって機構改革や資金調達といった経営的な困難を抱えることになった。
同時に、世界ランキングでの評価を上昇させていく使命も背負うことになった。
道理で、「国立大学が苦悩している」はずだ。
だが、その苦悩から脱出できる方法があるとしたら……。
いったい、どうすればそんなことが可能なのか?
「世界トップ100に入る」という宣言
全国に86ある国立大学の1つ、広島県東広島市に本部を置く広島大学は、THE世界ランキングによると「5011―600位」にランク付けされている。国内の大学でみれば12位だ。
その広島大学が、驚くべき宣言をした。
なんと「10年後までに世界トップ100位に入る」というのだ。
この挑戦を大胆すぎると驚くべきか。それとも不敵と見るべきか。何らかの勝算あってのチャレンジなのか。
あえて比べるなら、THE世界ランキングで東京大学が43位、京都大学が88位と評価されている現実を踏まえた上で、挑戦しようというのだ。
「本当に実現可能か」「現実性はあるのか」といぶかしがる声も耳にした。
しかし、2015年広島大学のトップに就任した越智光夫学長は「世界トップ100を目指します」ときっぱりこう言った。
「妙に背伸びをしたり、実力以上に見せようと虚勢を張っているわけではないんです。広島大学が今持っている力をきちんと自覚し、戦略に沿って現状を伸ばし、その数値を学外からはっきり見えるようにすれば、世界100位に入ることは決して夢物語ではありません。これは国との約束でもあるのです」
広島大学が、「世界で戦う」狼煙を上げた。
本気だということは伝わってきた。だが、どこまで本当なのか。実際、THE世界ランキングの指標の1つとして重要視されている「論文被引用数」のスコアを確認してみると……。
スコアによると、東京大学は18.3点。京都大学が14.0点。だが、広島大学も12.5点に達している。国立大学では5位だ。確かに、100位に手が届きそうな高い水準といっていいだろう。
ところが、その他の教育環境や資金調達などで大きく水をあけられている。
広島大学の現状とは、大学の研究活動そのものは水準が高く、現在の成果を順調に伸ばしていくことで世界100位の水準に届くことが可能な次元にあるようだ。ランキング指標の重要な1項目が達成可能だとするなら、あとは他の弱い部分を補強していく手段を講ずればいい、ということになる。克服すべき課題が明らかなら、解決する方法を見つけるのはそれほど難しい作業ではないだろう。