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松下幸之助にみる「おもてなし」の心

渡邊祐介(PHP研究所経営理念研究本部次長)

2017年03月11日 公開 2022年11月02日 更新

信長と幸之助の感性

こうした時代も背景も違う二つの「おもてなし」の事例であるが、信長と幸之助には共通の考え方があったと思われる。

それは何かというと、「おもてなし」とは単に常識や通念に従って進めばれよいというものではないということである。

光秀がそうであったかは推測にすぎないが、有職故実に通じた光秀は、それなりの自信を持って遂行していたはずである。ただ、格式を下げてはいけない、相手は家康なのだからとにかく贅を尽くせばよいと思っていたとしたら、そこに落とし穴があったのかもしれない。

一方、幸之助から落第宣言をされたN氏は、言い訳ともつかない感想を述べている。「謝礼を払ってきてもらっているのだから、それぐらい(すべてのお客様が見ているかどうかや、どのような遇され方をされるか)は構わない、と考える人のほうが多いのではないでしょうか」。

この言葉からもわかるように、N氏自身、明らかに芸能に対する理解に乏しく、パーティーの最初に乾杯するという通常のプログラムに沿った進め方をしていた。光秀にしてもN氏にしても、形式や慣例へのとらわれが、「おもてなし」の場において不適切だという意識がなかったところが問題だったのである。

その点から考えられる最も大切なことは、当を得た「おもてなし」とは、もてなされる者に限らず、もてなす者も含めてかかわった当事者全員が満足感を得なければならないということだ。

光秀は、信長が家康との関係性をどのように考えているかにまで、思いが及んでいなかった。天下が定まりつつある世の中で、従来は同盟者であったものの、信長がこれからは家康を臣下と同等に、もしくはその扱いに何らかの変化を与えようという思惑があったとしたらどうであったろう。不幸なことに、光秀には信長の深層にあった心を読むことができなかったのである。もちろん信長に訊いてみなければ本当のことはわからないのではあるが。

他方、幸之助は、ご足労をかけた花柳有洸氏に対して、無礼な対応をしたと明確に反省している。花柳氏の証言は残っていないので、当人が残念に思ったのか、自尊心を傷つけられたのか推測の域を出ないが、演じている時の観客の状況は理解していたはずだ。その一部始終を幸之助自身が厳しい目で観察していたのだから、ホストとしての差配の至らなさを恥じ入ったことであろう。

「おもてなし」とはもてなしを受ける人たちだけを満足させるのではいけない。仮にそのホスピタリティそのものには満足してもらっても、もしその裏で不本意な思いをしたり、不遇な目に遭った人がいたとすれば、それは真の「おもてなし」にそぐわないはずである。

特異な比較であるが、信長にせよ幸之助にせよ、「おもてなし」については高い感性を持っていたといえる。

 

 マネジメント誌「衆知」2017年3・4月号、特集「おもてなしの真髄」より

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