1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 「ジャパナイゼーション」を打ち破れ

社会

「ジャパナイゼーション」を打ち破れ

冨山和彦(経営共創基盤CEO)

2011年10月24日 公開 2022年09月15日 更新

「ジャパナイゼーション」を打ち破れ

 米国経済も欧州経済も、本格回復軌道に乗らない。リーマン・ショック以降の軌跡は、かつて日本が辿った道筋を2倍速から3倍速でなぞりつつある。1990年代日本のバブル崩壊とその後の政策的な迷走について、欧米の経済学者たちは、やれ日銀が悪いの、大蔵省(当時)の護送船団行政が悪いのと、したり顔で語っていた。しかし、その欧米「先進」諸国においても、やはり巨大なバブルが生成崩壊し、その後、政策的な決定打を打てないまま、潜在的な危機は深まっている。

 違いがあるとすれば、今回は日本の教訓からか、早めに民間金融部門のリスクを政府部門に移転した。だから、1997年ごろから北海道拓殖銀行、山一證券の破綻というかたちで顕在化した危機が、今回はギリシャ問題のような国家の財政危機に置き換わっている。日本ではその後、長銀(日本長期信用銀行)、日債銀(日本債券信用銀行)の破綻が続き、2000年代初頭に危機のピークを迎え、小泉政権の登場となる。産業再生機構のCOO(最高執行責任者)として、同政権による不良債権処理の最終局面に深く関わった実感でいうと、今回の欧米経済の危機も、対症療法を繰り返しながら行くところまで行く可能性が高い。先はまだ長そうだ。

 そもそも現代の金融システムは、バブル生成を促す要因に満ちている。世界中で長年、蓄積された資金ストックの量とその成長ペースは、いずれも実体経済の資金需要のそれをはるかに上回っている。この傾向は経済と社会の成熟化が進んだ先進国においてより顕著。しかも金融工学は、資金ストックの何倍もの金融取引をグローバルスケールで可能にする。こうした過剰流動性を御しきれなくなった直接的な原因が、日本では「政府の失敗」にあり、欧米では「市場の失敗」にあったのかもしれない。しかし問題の本質は、東大卒の文系エリート(金融行政の担い手)も、スタンフォード大やシカゴ大卒の理系天才(金融工学の担い手)も、「人間の手」では「神の見えざる手」を制御できなかったことにある。

 加えて、現代の世界経済が直面する厄介な構造問題がもう一つ。産業の高度化が生み出す中産階級の没落である。時代とともに価値創出の源泉は、労働の集約化から設備集約、さらに知識集約へとシフトしてきた。日本の高度成長期の牽引車だった組み立て加工業は、労働集約と設備集約の中間形態の産業であり、大きな中間層雇用を生んだ。しかるにグローバル化した現代、賃金水準が高い先進国において立地可能な産業は、より設備集約型、知識集約型へとシフトしていく。高度な熟練労働や知識人材への需要はむしろ増えるが、中程度の熟練労働は機械やITに急速に置き換えられてしまう。こうして中間所得層が失われていく傾向が、所得再分配に否定的な米国において顕著なのは当然だが、同じ圧力は日本を含むすべての先進国経済に働いている。

 その一方で、消費サイドで経済成長を支えるのは中産階級の厚みであることに変化はない。生身の人間の限界として、どんな金持ちでも一人で100人分の飲み食いはできないし、1万台の車を乗り回すことも難しいのだ。中間層が薄くなることによる需要不足を埋めるには、政府が介入して所得再分配や財政出動を行なうか、個人や企業に過剰な貸し付けを行なって消費と資産のバブル循環をつくるか、ということになる。悪いことに、移民の影響を除くと先進国全般は少子高齢化傾向にあり、ただでさえ消費の下押し圧力と財政の悪化圧力が加わっている。かかる状況下では、ケインズ的な財政出動もマネタリズム的な金融緩和も、あまり効果がない。前者によって将来の増税を予想する家計が財布のひもを締めてしまい、後者によって過剰供給構造を温存し、実体経済の需給ギャップ(≒デフレ圧力)をむしろ悪化させてきたのが、いまの日本である。

 もともと不良債権問題は、人体でいえば急性の血栓みたいなもので、お金という経済の血流が回らない状態を生み出し、経済を停滞させる。そこで財政出動や減税といった「輸血」や、金融緩和という「強心剤注射」をしても、血管が詰まっている以上、効果は薄い。やはり血管を通すための大外科手術が必要となる。「貸し手」問題(金融機関への資本注入による不良債権償却)と「借り手」問題(企業や家計の過剰債務解消のための資産買い取りや債務整理)の一体処理だ。これは資本主義経済の要の部分への巨額税金の追加投入を意味し、まさに小泉政権時代にやったことと同じ。しかし、資本主義の総本山たる米国においても、また、他国の銀行や企業のために自国の税金を投入することになる欧州でも、抵抗は大きいだろう。仮にそれを乗り越えても、その先には日本と同様に、やはり伝統的な経済政策が効かないデフレ型の長期構造不況が、高確率で待っている。血栓を取り除いても、慢性の動脈硬化は進んでいるのだ。

 それではどうするか? まずは政治的ハードルを乗り越えて、欧米の当局が、急性疾患たる不良債権問題を果敢な公的資金投入によって片づけること。その次には、既得権者である既存の金持ち(年金などを含む資産保有者)から、持たざる人びと(その典型が若年層世代)への富の再分配強化を行なう一方で、さらなる構造改革で産業の淘汰・再編・新陳代謝を進め、需給ギャップを解消することが必要となる。いずれも「古い人びと」や「古い産業」に痛みを寄せる改革であり、シニア層が選挙民の多数を占める先進国では非常に難しい。

 これらの重い課題を前に、いまのところ欧米は日本のあとを追って「ジャパナイゼーション」といわれる政治と経済の機能不全に陥りつつある。バブル崩壊、長期不況、大震災、原発事故……。むしろ天は、この度重なる試練によって、課題「最」先進国に生きる私たち日本人に対し、世界に先立って、その答えを提示することを求めているのではないか。この先、世界経済の不安定化が進み、状況が苦しくなるほど、日本人と日本企業が、その底力を発揮して、政治、経済、経営のあらゆるレベルで、世界に冠たる「ジャパンモデル」を創りだせると考えているのではないか。そのスケールでの生みの苦しみと思えば、野田新政権の躓きや、今後も続くだろう政治混乱も、大した問題ではない。

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×