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エクトール・マロ著『家なき子』~わたしの本棚

2018年02月05日 公開

中江有里(俳優、作家)


家なき子
 

『家なき子』(上・中・下)
エクトール・マロ著/二宮フサ訳 偕成社文庫
19世紀のフランスの作家、エクトール・マロの児童文学作品。主人公・レミは養父によって、旅芸人の一座に売られ、フランス各地を旅することに。レミは幾多の困難を乗り越え、文学、音楽を学び、やがて実の母親と再会を果たす。世界中で読み継がれている名作古典。

 

家のない子

 物心がつく前から両親は共働きで、自然とひとりでいることが多かった。近所にいる男の子たちが夢中になっている戦争ごっこや鬼ごっこなどの遊びは、荒っぽくてついていけない。そのうちひとりの頼りなさを紛らわすように、空想して遊ぶようになった。

 誕生日にねだって買ってもらったリカちゃん人形は、わたしの友達で、物語の理想の主人公だった。誰もいない部屋で、即興で物語を作って遊んでいると、時間が経つのを忘れた。やがて母が職場から帰宅し、舞台セット(部屋の間仕切り代わりのハンカチや、近所のおばさんが作ってくれた人形用寝具など)を一瞥すると、「片付けなさい」とむげなく言う。せっかくの舞台を解体し、渋々と古いダンボール箱へ仕舞う。唯一の楽しみを邪魔する母が憎らしく、この家の子じゃなければもっと遊べるのに、とすら思った。

 空想と同時に文字が好きだった。文字が書かれているものを見ると、ここには何が書かれているのか、と興味がわいた。新聞や雑誌、薬の説明書、家電の説明書、読めない漢字だらけでも、時々ひょっこりとわかる字が出てくる。空想と文字好きが高じて、やがて小学校へ入ってから、わたしの好きなもの二つを満たしてくれる本を読むようになった。いつしか読書が好きで、目立つことが苦手な小学四年生になっていた。

 読むことと人形遊びが楽しい、そんな平和な生活が、ある日終わった。

 両親が別れることになった。

 当時、多くのことを本から学んだが、「離婚」という言葉もそうだった。

 自分とは無関係なはずの「離婚」が突然やってきて、平穏だったわたしの生活を真っ二つにしようとした。真っ二つというのは比喩ではなく、目の前に違う道が用意されたのだ。

中江有里

 父のもとへ行くか、母のもとで暮らすか。

 まるで屋根のない家か、壁のない家か、子どものわたしには、そのどちらかを選ぶみたいに思えた。屋根も壁もどちらもなくては家ではない。それでもどちらかを選ばなくてはならない。

 決断を迫ったのは母だった。憔悴しきった表情を隠さない母を前にして「離れてはいけない、そばにいなければ」と心の中で声がした。

 いったい誰の声なのか。この瞬間、わたしの中には、もうひとりのわたしがいた。

 声の主は大人のわたしだった。強くて、決断力があって、何より子どものわたしの気持ちをわかってくれている。どちらも選べないわたしの代わりに、大人のわたしが母を選んでくれた。

 よくある物語では子どもが二人いて、夫婦が別れると大抵ひとりずつ引き取られる│急にそんなことを思い出したわたしは、四つ下の妹と離れたくない、と言った。結果的に、わたしと妹は、母と暮らすことになった。

 やがて離婚が成立し、ある朝、部屋から父のものがすっかり消えた。玄関扉を開けるとすぐ見える駐車場の車もなくなっていた。荷物が半分ほど減った部屋は広々として、差し込んでくる外の光が畳に反射して妙にまぶしかった。

 めまぐるしく時間は流れ、母の実家に程近い、賃貸マンションの一室で新生活が始まった。母は朝から夜まで仕事で、休日もない。わたしは引っ越しとともに転校した。新しい学校は母の母校で、以前の学校と比べると生徒数も少なく、校舎も小さかった。小学一年になったばかりの妹の世話と家事をするのが日常になり、ひとりでのんびり空想したり人形で遊んだりしてはいられなくなった。

 転校してすぐの頃、教室の隅にある小さな書棚にあった『家なき子』の文字が目にとまった。何年も誰も手にしていないと思われる、茶色く古い本はかび臭くさかった。

「わたしは捨て子だった」冒頭の言葉にドキンとした。自分のことを言われているように感じた。

 わたしは休み時間になると書棚から本を取り、読みふけっていた。それまで読んでいた明るい児童書とは違って、文字は小さくて読みにくいし、舞台となったフランスはよく知らない。だけど読まずにいられなかった。

 一番の衝撃は、お金のことだった。捨てられていたレミは高級な服を身につけていた。養父となる男は「いずれお金になるだろう」という動機でレミを拾い育てた。しかし当てが外れたことで、養父はレミを旅芸人に売ってしまう。品物を売るように子どもを売るのもショックだったが、それよりもっと切実なのは、生きていくにはお金がかかるということ。こうしてわたしが学校にいる間も見えないお金がかかっている。

 子どもにはお金を稼ぐことができない。小学五年になったわたしは、これから不安定な道を歩むことの意味を知った。

 屋根のない家か、壁のない家か、わたし自身がそのどちらかみたいなものだった。家の体をなしていない家ならば、できるだけ早く、屋根を作るか、壁を作ろう、と決意した。両親の離婚と『家なき子』は、わたしの中の、大人のわたしを目覚めさせ、自立心を植え付けた。

 ところで大人のわたしとはなんだったのか、と今あらためて考える。そうとしか言えない存在がたしかに胸にいた。きっと誰の胸の中にもいるもので、本来はもっとゆっくり顔を出すものかもしれない。

 急にあらわれた大人のわたしに対抗するように、この時からわたしは将来のことを真剣に考え始めた。

※中江有里著『わたしの本棚』(「家のない子」)より

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