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生き方

歌人・穂村弘「革ジャンを貸した。傷だらけで僕に返してきた。その友だちに憧れる」

穂村弘(歌人)

2018年06月26日 公開 2022年08月16日 更新

 

ロマンチックな憧れが「声かけ案件」になってしまう

──その一連のやりとりの再現がおもしろいです(笑)。そういうことが自然にできる、本人には「できる」という意識すらないのかもしれませんけれど、そういう人ってたしかに魅力的ですね。

(穂村)すごくきらきらしたアクシデントですよね。僕はその友達に革ジャンを貸して、すごい傷をつけられたことがあるけど、怒るどころか憧れたもんね。

借り物の革ジャンをこんなに傷つけて返すお前が眩しい! みたいな。なぜって僕は自分の革ジャンをすごい丁寧にメンテナンスするんです。オイル塗って、ビニールの大きい袋に密閉しておくとオイルが馴染んで……って、ダサいでしょう(笑)。

それに比べて、借り物の革ジャンを傷つけて平然と返してくるやつのジョニー・デップ度の高さ。

──「ジョニー・デップ度:高」の人ばかりだと、それはそれで困るような気も……。

(穂村)安全・快適・安心ということでいえば、そうじゃないほうがいいよね。アクシデント性やセクシー感と、安全・快適・安心さは排他関係にありますから。

今の日本の社会はどんどん安全度を増していて、僕が子供の頃と今を比べても、今のほうがずっと快適に効率よく、コストパフォーマンスよく暮らせるけど、アクシデント性はすごく減っている。

たとえば1980年代、僕が20代の頃、友達がこんな短歌を作ったの。

どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ   荻原裕幸

公園かどこかで、どこの子かわからない女の子に肩車してあげて、ふたりで雪が今にも落ちてきそうな空から最初の一片が降ってくるのを待っている。

当時はこれはロマンチックな歌だった。ちょっと内向的でシャイな青年とイノセントな女の子と世界へのロマンチックな憧れ。でも、今だとダメですよね。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ」、ブブー! って。

──いわゆる「声かけ案件」になっちゃうんでしょうか。

(穂村)「肩に乗せ」は完全にアウトだよね。30年間で、素敵だったはずの行為が犯罪になった。それだけ世界のアクシデント性やセクシー感は減ったっていうことです。

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安全・快適・安心のフィルタが外れた短歌の世界

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