コツ1:難しく書こうとするな、簡単に書け
文章を難しく書く必要はまったくない。難しく書くとは、賢そうに書くということだ。または、いろいろ知っていそうに書くということでもある。思想家や哲学者の文章には、その手の文章が多い。そして、この手の文章は読みにくくわかりにくい。
しかし、アウトプットの目的は、読みにくくわかりにくい文章を書くことではない。
インプットを消化し、形を変えて放出することだ。そしてその結果として、誰かに「あの人はこういう人なのか」と思ってもらい、フィードバックを得ることだ。
あの人は賢い人なのかと思ってもらいたいという欲もあるかもしれないが、まずまちがいなく、その試みは失敗する。
書いている人が本当に賢いのか、賢いと思ってもらいたがっているだけなのかは、読んでいる側にはすぐにわかることだからだ。
たとえば、文章中に「アウフヘーベン」が出てきたら、それは、賢いと思ってもらいたがっている人物が書いた文章だと思ったほうがいい。その文章の目的は、何かを伝え、理解してもらうことではなく、書いた人間を賢いと思ってもらうことだと即座に判断できる。
アウフヘーベンはたとえである。ほかにも、平易な言葉に置き換えればいいのに、わざわざ目くらましのような言葉を使う文章には要注意だし、そういった文章を書くことはまったくすすめられない。
使う言葉は一般的であればあるほどいい。
同じことが文章の構成にも言える。端的に言えば、一文の長さは短ければ短いほどいい。長い文章は、つかみどころのない話に似ている。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、ある日、おじいさんは山にしばかりにいって、おばあさんは川に洗濯にいったら、川の上流から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきて、おばあさんがそれを持って帰って、おじいさんが切ってみたら、中から桃太郎が生まれた」
これだと長い。そして、読む側に文章を咀嚼する余裕が与えられていないので、桃から桃太郎が生まれたというインパクトの前に、はて、おじいさんはどこに行っていたんだっけと記憶が飛んでしまう。
この長い一文をどう短くしていけばいいかは、もう、わかっているはずだ。目指すべき一文の長さは、昔話に出てくる程度の長さである。つまり、できるだけ短くするのだ。
その短い一文には、難しい言葉を使わない。幼稚園児でもわかるような、または、日本語を勉強しはじめた外国人にもわかるような文章、あるいは、自分で英訳するつもりの文章を心がけると自然と読みやすく、わかりやすくなる。