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たった10分の校長先生の話が「苦行」だった理由 “話の長い人“にならないコツ

犬塚壮志(士教育代表取締役)

2019年02月20日 公開 2024年12月16日 更新

たった10分の校長先生の話が「苦行」だった理由 “話の長い人“にならないコツ

<<聞いていて疲れる人の話し方には共通点がある、と語るのはスマッシュヒットとなった『東大院生が開発! 頭のいい説明は型で決まる』著者の犬塚壮志氏。

もともとカリスマ予備校講師として活躍し、受講生にシビアに評価される中で、「飽きさせない話し方」を徹底的に研究してきた。

犬塚氏に聴き手を疲れさせず、かつ飽きさせないシンプルな話し方のスキルを語った。>>
 

「校長先生の話」が頭に残らないわけ

小中学校の頃、全校集会というものが大の苦手でした。理由は、校長先生の話です。

私が在学していた当時の校長先生の話はなぜだかみな長く感じ、黙ってじっと聞いているのが非常にしんどかったのです。

校長先生の話は、時間にしてわずか10〜15分くらいだったと記憶しています。学校の普段の授業は40〜50分間でしたから、時間だけで比較すると、授業よりも校長先生の話のほうが圧倒的に短いんです。

それでも校長先生の話をじっと聞いているのは、大きな忍耐力を要したのを今でも鮮明に覚えています。校長先生の話の内容が高尚すぎて、当時の幼かった自分には理解できなかったという理由も、もちろんあるかと思います。

ただ、それにしても、まったくといっていいほど話の内容を覚えていないというのは、自分でも不思議です。

ただ、実は、この現象は、学生時代の校長先生の話だけに限ったものではありません。社会人になってからも、会議中の上司の発言、セミナーや講演会での講師の話など、似たような「記憶喪失」を何度も経験しました。

つまり、話が頭に残らないのは、年齢や中身そのものというよりも、「話し方」に原因があるのではないかと考えました。

どんなに話の中身が良かったとしても、「話し方」のスキルが伴わないと、聴き手の頭に残すことができないのだと強く感じるようになったのです。
 

「話が長い」には2つの意味がある

「話が長い」という言葉には、私は2つの意味合いがあると考えています。

1つは、一方的に話す「総時間」。もう1つは、「一言あたりの長さ」です。

「話が長い」と私が感じる場合の多くが、実は、前者の「総時間」ではなく、後者の「一言の長さ」なのです。学校での普段の授業よりも校長先生の話のほうが長く感じてしまう理由の1つに、校長先生の「一言の長さ」があったのです。

もちろん、「校長先生の話」というのは私個人の経験なので、すべての校長先生の話が退屈だと言いたいのではあはりません。ただ、私が経験した「校長先生」を含めて「話が長い人」というのは、得てして、一言が長いことが多く、「この人、ダラダラ話す人だな」、そういった印象をもってしまうのです。

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「一言が長い」人が疎まれる原因

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