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松下幸之助の全員経営論と「生産性倍増運動」~小さな知恵を結集し、大きな力に

川上恒雄(PHP理念経営研究センター主席研究員)

2019年05月21日 公開 2022年08月22日 更新

販売もQCサークル活動

このように製造面においては、まさに幸之助の言う「衆知を集めた全員経営」が実践され、大きな成果を上げる。

一方、販売現場ではどうだったのか。工場のように一カ所に多くの人が集まってする仕事ではないだけに、生産性向上に向けての問題意識を共有するのが相対的に難しい。

ただ、販売で生産性を上げるのは容易でないとしても、考え方としては単純で、従来の売上増大への努力を、いかに効率的に進めていくかを追求していくことに尽きる。

その点で、乾電池事業部の営業部隊の例が興味深い。何万円もするテレビや洗濯機などと違って、一個わずか数十円の乾電池ハイトップの売上を伸ばすには、かなりの工夫が要る。低価格製品なので、相当量を売らなければならない。それに、よほど画期的な乾電池でもない限り、差別化が難しい。

営業担当者たちは悩んだが、幸之助が「販売店さんの声をよく聞いて」と繰り返し説いていたことに従い、生産性倍増運動が始まる前から、電器店を回っては販売のヒントをつかもうと努めてきた。さらに、市場調査のため、できるだけたくさんのお店に買い物客として入ってハイトップを購入しつつ、現場でしかつかめない生の情報を収集したのである。

その結果、乾電池はほとんど店頭販売である、男性店主よりも奥さんが売っている、売る側も買う側もメーカーやブランドの相違を気にしない、月ごとの販売数量は安定している、商品別では乾電池の購入客が最も多い――などが判明した(『松下電器社内時報』1968年8月1日付より)。

なかでも一年を通して売れゆきが安定している点に着目し、1966年から「シルバープラン」を採用した。

同プランでは、約200個の乾電池を入れた「シルバーボックス」を一口として販売する。一回の取引でまとまった個数をお店に仕入れてもらうためだ。

生産性倍増に向けての目標は、電池1個あたりの販売コストを1円下げること。「ハイトップ突撃隊」なる営業部隊を編成し、卸である販売会社の担当者「ミスハイトップ」「ミスターハイトップ」と協力して、地を這うような営業活動を続けたところ、売上の増大はもとより、1個あたりの販売コストを1円15銭下げることに成功したという。

そのほかの販売関連部署も様々な効率化に取り組んだが、製造現場で成果を上げているQCサークル活動を導入した営業所が少なからずあった。もっとも、製造とは仕事の性質が異なるので、厳密にはQCサークルというよりも、課題解決を互いに考え合う小集団活動とみなすべきだろう。とはいえ、「衆知を集めた全員経営」を実践するという点では、製造も販売も同じである。
 

全員の力を集結する伝統

松下電器で生産性倍増運動の大きなうねりが起きたのは、実現すれば賃金も倍増すると、社員が期待していたからだという見方がある。これは1967年1月の経営方針発表会で、松下正治社長が生産性倍増をスローガンに掲げたあと、会長の幸之助が五年後の賃金水準を「欧州を抜いてアメリカに近づくよう持っていきたい」と発言したことに由来する。

ただ、具体的にどの程度の水準か不明確であったため、会社と労働組合との話し合いで「5年後に2倍」という理解に達した。その後、いつのまにか社員の間で「生産性倍増」と「賃金倍増」(あるいは「月給倍増」)がワンセットであるかのごとく広まったという。

確かに、賃金が大きく上がるのであれば、遮二無二がんばるという社員もいたことだろう。しかし賃金を上げさえすれば、全社員が一丸となって仕事に打ち込むということに必ずしもならないところに、経営の難しさがある。

幸之助は、1970年にアメリカの『ビジネスウィーク』誌のインタビューで、松下電器社員の団結心について訊かれ、次のように答えている。

「従業員には、賃金をたくさん出すというだけで事がすむというわけにはいきません。そのほかに働きがいというか、その仕事に興味があるようにしていかなければなりません。自分たちがやっている仕事が社会にどうつながっていくかというようなことを訴えて、理解してもらい、そういうところから生まれる仕事の興味というものを各自に認識してもらう。そういうことが非常に大事ではないでしょうか。
それは一言で説明して理屈でわかっても、その通りにはなかなか動かないもので、やはり長年かかって、だんだんそういうことが身に染みてこないといけない。そうなってくれば、みんなが仕事に非常に興味が湧いてきて、命令を受けずして自分から創意工夫というものを、自分の仕事に生み出していく。あるいは会社に提案していくというようなことになってくるんですね」

社長が「生産性を上げよ」と要望すれば、おのずと現場の社員がその実現に向けて、協力し合って動く姿は、創業者である幸之助が長年にわたり事業の社会的意義を訴えてきたとともに、会社の経営は衆知を集めて全員でやるものだという伝統を築き上げてきたからにほかならない。

以下は、1957年1月の経営方針発表会における、当時社長だった幸之助の発言である。

「松下電器の経営は、社長の経営でもなければ、幹部の経営でもございません。全員の衆知によって経営されているのであります。これはわが社年来の主張でありますが、この主張が、日に月にだんだんと皆さんに理解されて、皆さんの部下にもそういうことが浸透され、渾然一体となった衆知による経営になるということが、松下電器の真の姿でなければならないと思うのであります。そして、全員の力が一つになって集結する時、その力の強さというものは、莫大なものになり、その強い力が正しい意味に働く時、これが社会に貢献する大きな力になることは、間違いないと思うのであります」

どうして現場において、QCサークルなどの小集団活動が次々と生じてくるのか、一般社員からもどんどん提案が出てくるのか、そしてそこには強制された〝やらされ感〟が希薄なのか――。その根底には、皆で知恵を集めて経営に活かし、事業を通して社会に貢献しようという意識が、すでに組織全体に染みわたっていたからだ。

「打てば響く組織」と幸之助は表現したが、現場とは一見疎遠な経営幹部や間接部門の社員も、意識の上では現場の社員と通底していた。まるで会社全体が一体化した現場であるような団結力を誇っていたところに、松下電器の強さがあったのである。
 

※本稿は、マネジメント誌「衆知」2018年11・12月号特集「最強の現場力」より、一部を抜粋編集したものです。

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