プログラミング、動画…子どもの頃に存在しなかったものへの挑戦もアリ
ただし例外もある。それは、子どもの頃にはなかったものとの出会いだ。
80代の女性プログラマーの話を聞いたことがあるだろう。
若宮正子さんは80歳代になってからプログラミングを学び、iPhoneアプリを開発し話題となっている女性だ。いくつになってもチャレンジできることの象徴として、国連で演説をするまでに注目されている。
若宮さんの場合は、当然のことながら、子どもの頃に好きだったプログラミングを再開したわけではない。80年前はまだ戦前だから、日本の子どもにはプログラミングに接するチャンスはなかった。
その若宮さんは、大人になってから、子どもの頃にはなかったプログラミングと出会い、それにハマった。
おそらく若宮さんが小学生の頃にプログラミング教育が必修化されていたら、彼女はいい成績を収めていたことだろう。しかしそうした社会状況になかったので、年を取ってから、プログラミングに出会った。つまり、プログラミングを苦手に感じていたとか、嫌いだったとかいう過去がない。
こうした出会いならば、大歓迎だ。
巷で話題の70歳代の女性人気YouTuber、90歳代の女性人気自撮りカメラマンについても同様。若い頃にはなかったものに出会い、興味を持ってやってみて、それを続けてみたところ、その世界のスターになってしまったのだ。
「自分が子どもの頃だったら」という発想が必要
私は、子どもにはいくつもの習い事をさせるのが理に叶っていると思っている。
なんでもやらせて、興味がないとか向いていないといったことが分かれば、すぐに辞める。そしてその時間を、ほかの習い事に使う。そうしていると、やがて自分にぴったりの習い事、言い換えれば一生の趣味が見つかるからだ。
しかし定年を過ぎてからそれをやっていては、時間が足りない。残りが40年あると言っても、90年残っている人に比べれば、圧倒的に短いのだ。
なので、定年を迎えた人に、子どものように手当たり次第に習いごとをしろとは私は言いたくない。それは大海に眠る財宝を探し当てるような行為だ。
やはりここでも、子どもの頃にこれが身近にあったら、自分はどんな風に遊んだだろうかという発想は必要だ。それが、いい歳になってからの大航海のような自分探しという無駄を回避してくれる。