人気作家が明かした“面白さ”を生み出す「抜け道」
2019年10月11日 公開
「新しい面白さ」を求めることはチャレンジだ
「新しさ」へのチャレンジについても書いておこう。
「面白さ」の鍵となる「新しさ」を求めることは、それだけでチャレンジである。チャレンジとは、そういう定義だからだ。もし自分だけにとっての「面白さ」ならば、自分にとって新しければ充分だが、世間に問いたい「面白さ」を目指している場合は、もう少し広い意味での「新しさ」が必要となる。
これは、きょろきょろと辺りを見回していて見つかるものではない。自分で大部分を作らなければならない。非常に疲れるし、神経をすり減らす経験になるだろう。
僕は、作家としてもう二十数年仕事をしてきた。
作家は、いつも「面白さ」を作り出すことに頭を使っている。周囲にある「面白さ」など限られているから、インプットされたものだけでは、アウトプットを生産する材料として全然足りない。「面白い」ものを観たり読んだりしても、それらは使えない。そうなると、ゼロから作り出すしかない、という話になる。
俳句を詠むように「面白さ」を作り出す
そう、ゼロからだ。それは、たしかにそのとおり。
ただ、ちょっとした抜け道がないわけでもない。
それは、周囲にある「面白さ」、過去にあった「面白さ」から、本質を取り出す行為によって生まれる。
何故面白いのか、どこがどう面白いのか、ということを考えていくと、その具体的なネタから、抽象的な「面白さ」が抽出できる。これができるようになるためには、ものごとを客観的、抽象的に捉える目が必要だ。しかし、慣れれば自然にできるようになる。
さて、抽出した「面白さ」とは、言葉にはならない。「こんな感じのもの」「こんな雰囲気のもの」といった茫洋とした雲の塊のような素材である。
だが、そこから、幾つかの「面白さ」を作り出すことができる。ゼロから作るよりも、数段容易だ。一日中考えていれば、一つくらいは必ず出てくる。俳句を一句詠むのと同じくらいかな、と想像する。