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「ペリー提督の前で米兵に圧勝した巨漢力士」はアメリカでどう紹介されたのか

谷口公逸(大相撲史研究者:たにぐち・こういつ)

2019年11月13日 公開 2022年04月01日 更新

 

アメリカの文献でも紹介された"KOYANAGI"

なお、ペリーの前出『日本遠征記』の英文原書によれば、この一件は西暦1854年3月24日の出来事で、旧暦では嘉永7年2月26日にあたるが、「温恭院殿御實紀」とも2月16日(旧暦)の事として記述している。日本側の史料では日付が17日とするものも散見する。

一方、アメリカ側が纏めた英文原書の記述を見ると力士のデモンストレーションの件くだりはわずか100行、2ページ余りで、アメリカ本国の英雄、拳闘チャンプでトム・クリブスやヤコブ・ハイヤーズに例えて、チャンピオン「小柳」と紹介され、力士名は彼だけで白真弓の名は記されていない。

ペリーは小柳に目がとまり、自らの所へ呼び寄せ、腕や首を触って感嘆している記述はある。

ただ、原書に記述された表現にはmonster (怪物)、ox(雄牛)、elephant (象)など動物を力士の形容に当てたほど、彼らの目には筋肉の塊をしたアニマルに映ったに違いない。

土俵入り、稽古相撲には、さして興味を注がれたような記述はみられない。日本側の記述に細かなところを具体的に書き記してはいるが、日米ともにこの史実を極めて忠実に、そして簡潔に書きとどめているのは印象深い。

ただし、この話、「小柳」対「船員」との対戦も、こぞって出版された瓦版(かわらばん)の記事が流布され、のちのち尾ヒレが付いて「腕に覚えのあるアメリカ水兵、ボクシングやレスリングの経験者ら3人(わざわざ名前を明記したものもあり)が挑戦したいとの申し出に、大関小柳が受けて立ち、面倒とばかりに3人を一遍に相手にして、一人を足で踏み敷くと、一人は脇に抱え、もう一人は片手で高く差し上げて、彼らの心胆を寒からしめる圧勝ぶりを見せつけた」というような猛者ぶりが相撲の歴史を扱った諸書に書き継がれていった。

しかし、この船員の件は腕に少し自信のあるものが挑んだもので、ボクサーとかレスリングの経験者、ましてや個人名などは一切英文原書には記述されておらず、それ以上の情報は書き留めてはいない。

はっきり言えば相撲に関してはさして関心を示さなかったという方が当たっている。日本側も前出の「温恭院殿御實紀」のとおりである。

戦後の相撲の読物にこぞって書かれた、ボクサーやレスラーと異種格闘技の夜明けだなどと書かれた雑書は尾鰭を付けた脚色で、面白おかしく書き足されたものがあたかも実話だったかのように思い込んでいる人も多い。

ネタ本は昭和22年(1947)、下田文化協会が発行した『黒船談叢』から題材をとったものであろう。いずれにせよ、御家一大事のこの“事件”も瓦版や錦絵としても売り出してしまう江戸っ子のおおらかな気質には脱帽する。

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