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生き方

なぜ藤井聡太棋聖は「AI超えの棋士」と呼ばれるのか?

杉本昌隆(棋士)

2020年01月30日 公開 2020年07月22日 更新

 

遠くを見れば目の前に気を取られない

有名人は、普通ではありえないストレスにさらされています。そうした状況に抗して平常心を保つのは簡単なことではありません。

藤井は棋士生活との両立が可能な高校に通っています。高校二年生で、進学についても考えなければいけない時期です。

気疲れという点では他人の比ではないはずです。棋士ですから、年齢に関わらず、公の場でも将棋連盟の職員からも「藤井先生」と呼ばれます。

一方で街を歩いていると「藤井くん!」と声を掛けられたり写真や握手やサインを頼まれたりします。対局で移動中の時もあるでしょう。プライベートの時もあるでしょう。できれば手加減してほしいな、と思います。

若いということもあるでしょうが、どうも声を掛けやすい雰囲気が出ているようです。でもこれが藤井の人気の理由でもあるのでしょうけど。

私は以前、「変装したらどう?」と藤井に提案したことがありましたが、「バレたらもっと恥ずかしいので」とあまり乗り気ではなさそうでした。それもそうですよね……。

脳のスタミナは目に見えない武器。将棋盤の前では決して疲れないのも藤井の特徴です。「今日は疲れたので」「将棋の調子が悪いからこの辺りでやめておきます」、ときに多くの少年たちが口にする弱気な言葉。昔から藤井には全く無縁でした。

お正月のお昼に一門で集まった研究会。新年なので室田伊緒女流二段や他の弟子たちに手伝ってもらい、晩御飯は鍋にしました。

食事が終わり普通はそこで解散ですが、兄弟子と藤井の間で再び研究会が始まります。最後はリクエストに答え、学校の先生のように藤井の講釈が始まり、それを皆で聞き入る場面もありました。

ふと気がつくと終電間近。夢中になりすぎて家への連絡を忘れたようで(これは私にも責任がありますが)お母さんが心配して、私の携帯に電話をかけてこられたほどでした。

前にも書いたように、使命感に駆られての取り組み方には見えません。「次回の対局のシミュレーションに」という目先の結果を求める様子もありません。

その思考法は「将棋の真理を追究する」が一番近いのでしょうが、集中しながらもどこかリラックスしているよう。

結果を追い求めない方が結果を出せる、藤井を見ているとそんな言葉が浮かんできます。

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