タロジロと奇跡の再会を果たした北村泰一隊員
《今から約60年前、日本が太平洋戦争の傷跡から、ようやく立ち直りつつあった頃、2頭の犬が生んだ奇跡が、日本中に感動を巻き起こした。
その奇跡が起きたのは、日本から1万4千キロ離れた極寒の地、南極。1957年から1958年にかけて、国家プロジェクトとして実施された第一次南極観測越冬で、11名の越冬隊員が、19頭のカラフト犬とともに海を渡り、南極・昭和基地で1年を過ごした。
しかし、帰国の日、予期せぬトラブルにより、15頭の犬たちは鎖につながれたまま、極寒の南極に置き去りに。誰もが、犬たちの生存を絶望視したが、1年後、なんとタロ、ジロという2頭の兄弟犬が生きて隊員と再会を果たしたのだ。
誰もが一度は耳にしたことがある、この「タロジロの奇跡」だが、実はこの奇跡の物語には、知られざる“第三の生存犬”の存在があった。
本稿では、歴史に埋もれた“第三の犬”の正体に迫った書籍『その犬の名を誰も知らない』より、第一次南極越冬隊に「犬係」として参加し、帰国1年後にタロ、ジロと再会をはたした唯一の隊員である、北村泰一氏が、23年経って初めて“第三の犬”の存在を知った際のエピソードを紹介する。》
※本稿は嘉悦洋著、北村泰一監修『その犬の名を誰も知らない』(小学館集英社プロダクション刊)より一部抜粋・編集したものです
封印された“第三の生存犬”
――いったい何の話だ?
北村泰一は耳を疑った。
1982年春。東京・銀座の喫茶店。目の前に、第一次南極越冬隊の仲間だった村越望が座っている。村越が切り出した言葉の意味が、分からなかった。急に店内の温度が上がった気がした。
1957年から1958年にかけて実施された第一次南極観測越冬。北村も村越も日本初の越冬隊員として、南極の昭和基地で厳しい一年間を過ごした。
当時、北村は京都大学大学院生。オーロラ観測担当であり、犬ゾリを曳くカラフト犬たちの世話係だった。気象担当の村越は、毎日綿密な気象観測記録を残した。
村越が5歳上だが、なぜか二人は気が合い、夕食が終ると夜遅くまで話し込んだ。南極で観測するオーロラのすばらしさ。南極の気象観測の難しさ。夕食のメニュー採点。
特にカラフト犬については毎日のように新しい発見があり、北村はその日に起こったことを熱心に村越に話した。村越は基地内で定点観測する気象担当なので、基地外に出てソリを曳く犬たちと接する機会は少ない。それでも、いつも穏やかな表情で北村の熱弁を聞いていた。
それから四半世紀が過ぎ、北村は超高層地球物理学を研究している九州大学助教授となっていた。久しぶりに村越と再会したのは、都内で開かれた会合の帰りだった。
この日も、北村はカラフト犬タロとジロの話をしていた。日本人の多くが、よく知っている物語だ。南極に置き去りにされ、1年間を生き抜き、人間との再会を果たした兄弟犬。その奇跡は、全国の新聞が一面トップで伝え、ラジオでも大々的に報じられた。
話が一段落するのを待っていたかのように、村越が口を開いた。
「北村君。実は話したいことがある。タロ、ジロの話が出たから、思い切って聞くんだが……」
なぜだろう。村越の表情が硬い。
「1968年。つまり14年前のことだ。昭和基地で、一頭のカラフト犬の遺体が発見された。君はその事を知っているか?」
――カラフト犬の遺体? 何のことだ。意味が分からない。
「ああ……やっぱりかぁ」
村越は、呆然とする北村を見て、頭を抱えた。
「ねえ村越さん。いったい何の話ですか」
うむむ、と腕組みをする村越。宙をにらむ。しきりに唇をなめる。頭の中で物事を整理している時のくせだ。
「そうか、やっぱり知らないんだな。わかった。最初から順序立てて話そう」
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「2頭生存、7頭が死に、6頭は行方不明」の定説が突き崩したひとつの事実