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生き方

「無理して明るく振る舞うこと」が心にとって危険な理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2020年04月17日 公開 2024年12月16日 更新

「無理して明るく振る舞うこと」が心にとって危険な理由

日本全体が苦境に陥っているといえる状況、日本全体を覆っているのは「不安」だろう。先行きが不透明な状況のなかでは、自分自身の明日も見えづらく、心に重荷を背負ったままの日々の生活は辛い。

ニッポン放送「テレフォン人生相談」にて数十年にわたり、多くの人たちの悩みを聞き、その心を和らげきた作家で早稲田大学名誉教授の加藤諦三さんは、自著『不安のしずめ方』にて、その苦しさとどう向き合い、対処すれば良いかを説いている。

本稿では、同書より不安なときに「無理に明るく振る舞うこと」の是非について触れた一節を紹介する。

※本稿は、加藤諦三著『不安のしずめ方』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

自分が苦しいだけで、効果はあまりない

無理して明るく振る舞わない。

もちろん、相手に対する思いやりから明るく振る舞うことは素晴らしい。

ここで言っているのは、相手に迎合する気持ちから無理に明るく振る舞うことである。

人の関心を引くために明るく振る舞うことである。

無理して明るく振る舞っているときには、傍はたから見ていると、不自然である。

無理して明るく振る舞おうとしたときに、自分は周囲の人から見ると不自然に見える行動をしていることに気づこう。

無理して明るく振る舞うことは、自分が苦しいだけであまり効果がない。

そう気がついてやめることである。

無理して明るく振る舞うことが、時には逆効果ということもある。

ときどき、カンにさわる声で笑う人がいる。
笑っているが、見ていると楽しそうではない。

あなたはそんな人を見たことはないだろうか。

おそらく心に憎しみがあるが、それを自分で見ていないのだろう。

今の自分の心の現状を見て見ぬふりをしているから、カンにさわる声で笑う。

明るさを誇示しているが、その人の心の底の憎しみがこちらに伝わる。

無理に明るさを誇示しても、人の好意を得るどころか、人に不快感を与えるだけである。

無理して明るく振る舞うのはやめたほうがよい。

 

不安を隠す手段としての明るさ

不安な子供は、自分で無理やり良い子になろうとする。

そして最後にはノイローゼになる。

同じように、無理して、明るく振る舞う人は、一人のときにはよりいっそう暗くなる。

いわゆる「良い子」の明るさは、不安の防衛的性格としての明るさである。

いつもこのように無理をしていると、自分で自分がなにを求めているかがわからなくなる。

フロムは、『自由からの逃走』の中で、ある人の夢を解説し、次のように述べている。

「彼の陽気さは彼の不安と怒りを隠すための手段である(エーリッヒ・フロム、前掲書、217頁)」

陽気さは、時に、その人の怒りと不安を覆い隠すための、たんなる仮面でしかない。

裸にされ殴られ、いじめで自殺した中学一年生のA子さんである。

小学校のときからいじめられっ子だったという。

そのことが報道されたときに新聞に、「表面は明るく、礼儀正しいが、ちょっと寂しがり屋」と書かれていた。

自殺などをすると、「明るい子がなぜ?」という大きなタイトルで、そのことが新聞に載る。

しかし、いじめられているときの、「不安と怒りを隠すための手段」が「明るさ」だと解説された新聞を、私は読んだことがない。

 

逃げの努力をせず、今日を生きよう

1 従順、何事にも遠慮する
2 仕事熱心、真面目、強く優れていようとする
3 無理して、明るく振る舞う

この三つの行動をやめてみる。いや、やめようとしてみることである。
すると、ものすごく不安になるのではないだろうか。

いろいろな怖い夢を見るかもしれない。刃物を持った者に追いかけられる夢を見るかもしれない。高いところから落ちる夢を見るかもしれない。

夜は寝ていて金かな縛しばりにあうかもしれない。下げ痢りをするかもしれない。体調を崩すかもしれない。体が硬直して苦しくなるかもしれない。

たとえば、人を責めることで不安を防衛している人がいたとする。
その人が責めるのをやめると、すごく不安になる。

アメリカの精神分析医ジョージ・ウェインバーグは、それをやめたとき、意識の固まりに気がつくと言っている。

責めることをやめたときに、自分が不安だから人を責めていたということに気がつく。

つまり、その活動をやめてみると不安が高まる。

そこで、明確に自分のしていることを自覚する。

不安を本質的に解消するために大切なのは、その心の葛藤を解決することなのである。

前述の三つの行動は、動機を考えると逃げのエネルギーである。

燃え尽きる人は、死にそうになっても頑張っているが、それは元気な子供のエネルギーとは違う。

元気な子供のエネルギーは、逃げのエネルギーではない。

弱い人は、失恋から逃げるために別の人を恋する。その人が好きだから恋するのではない。

同じように、今の不安から逃げるために真面目で仕事熱心な人がいる。

その仕事が好きなのではない。
不安な人は、その日から逃げている。
不安な人は、今から逃げている。

子供は楽しく生きる。
子供にエネルギーがあるのは「明日を心配しない」からである。
子供はあわよくば「明日も楽しく」と思ったりしない。その日を楽しむ。

「今日を生きよう!」

幸せになれる人は、そう思うだけではなく、「それにしても、まずは元気でいなくては」と考える。

次に「健康でなければ」と考える。そして健康に留意する。
健康とは心の健康である。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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