今川義元は馬に乗れなかったのか? “名古屋の前田慶次”の考察
2020年06月06日 公開 2022年06月30日 更新
戦国時代に猫を飼うのは身分の高い証拠
此度の名場面ともいえる、東庵と義元の対話にして猫を愛でる義元。現世で猫は飼育ペットしての認識が強いようじゃな。
そもそも猫は、弥生時代に日本に渡来して参った動物。随分と長い時間、日本人と共に歩んできた歴史がある。奈良時代には仏典をネズミから守り、稲の精霊としての扱いも受けていた。
つまり当時としては貴重な動物で、高貴な人間しか飼えなかった。高貴な人間、それは皇室の方々である。戦国時代、日本の愛猫家は天皇家や公家衆の方々であった。
問題は今川義元が何故、猫を飼っていたのか。此れに関して史実に残されていたものではなく、「麒麟がくる」仕様といったところであろう。
身分の高い人間しか猫の飼育はできなかった、故に今川義元の立場を示す演出であると同時に、公家衆との繋がりを示すものとなった。
松平元康は今川義元を慕っていた?
家康こと松平元康は、義元がその元服に手を貸し、初陣でも見事な働きを見せた。
家康の初陣は1558年、信長が上洛している間に果たした。ドラマでは第19回にあたる。初陣の少し前に元服し、大人の仲間入りを義元の前で果たした。
元服した際に、家康は義元の姪の娘である瀬名姫を正室に迎え入れる。「大事に育ててきた」という一言でドラマは終わっていたが、家康は義元へ多大な恩義を感じていた。
実際、家康は義元討死を聞き自害を考えた程、慕っておったそうじゃ。
朝倉義景と蹴鞠「アリ」の秘密
今回、前田慶次的に一番の見所、義景の「アリーーーー!!!」である。これ、歴史的に面白いことが描かれておった。
蹴鞠を遊びと表現し、光秀自身も「何が蹴鞠だ!」と激情しておった。しかし、此れは実に重要な乱世の生き方を描いておるのだ。
蹴鞠は言ってしまえば娯楽である。現世のスポーツに近く、サッカーなるものに通ずるものがある。球を落とさんように繋げるのじゃが、複数人で楽しむものである。これは、立派な交流の場となる。この蹴鞠、誰が参加していると思う。京の公家衆たちなんじゃ。
貴族達と交流を図り立場を守る、朝倉家100年の歴史を守ることが義景の立派な務めである。「アリーーーー!!!」と言いながら義景は国を豊かに守るべく戦っておったのじゃ。
そしてこの「アリーーーー!!!」にも意味がある。昔、蹴鞠の達人である藤原成道という貴族がおった。ある時、成通は蹴鞠の上達のために千日間の鞠の修行に挑戦する。
千日目の最終日、満願の日の夜となり、成通の前に蹴鞠の精が現れた。蹴鞠の精は、顔は人間でありながら手足は猿。人間なのか猿なのか、得たいの知れない生き物は3匹いた。精霊たちは、茂通に「自分たちの名を呼べば参上して力になる」と伝えた。
3匹の名は、「アリ」「オウ」「ヤア」。
そう、ドラマの中での掛け声と同じである。つまり蹴鞠の精の名を呼んでおったのじゃ。