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斎藤道三の描き方が変わる…大河ドラマの名作『国盗り物語』と『麒麟がくる』の相違点

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年06月26日 公開 2022年06月30日 更新

 

『国盗り物語』と『麒麟がくる』、斎藤道三の下剋上についての相違点

登場人物もほぼ変わらん二作品だが、色々な違いがある。

『国盗り物語』は前半の主人公が斎藤道三であるため、『麒麟がくる』では描かれていなかった「道三の前半生」が描かれていた。道三は若い頃、寺の世話になり油売りの商いをしていた。

そこから武士となり、美濃国領主へと成り上がった。出世を重ねる度に道三は名を改めた。松波から西村から長井から斎藤へと。『国盗り物語』で松波の姓の時代から描かれていたのは、興味深かったのではなかろうか?

『麒麟がくる』では道三は守護代として地位を固めて、土岐家を追放する所から描かれていた。『国盗り物語』では、一家臣の身分として土岐頼芸の元で働く姿から描かれていた。こちらも『麒麟がくる』での取り上げられていない部分である。

道三が土岐家を追放し、美濃の戦国大名へと成り上がる点の描き方で重要な違いがあった。

『国盗り物語』は道三が一人で果たしたように描かれていたのに対して、『麒麟がくる』では、登場はしないが道三の口から「父」という言葉が出て、親子二代で成し遂げたことが表現されていた。

『国盗り物語』が作られたのは今から約50年前。この50年の歩みの中で、歴史研究も進み、同じ題材であっても大河ドラマの描かれ方も変化していったのである。

 

『国盗り物語』の延暦寺焼き討ち、本能寺の変

『麒麟がくる』で間違いなく見所となるであろう、延暦寺焼き討ちと、本能寺の変。

延暦寺焼き討ちは、現世の研究者の中では「責任者の任を全うするため、光秀が率先して焼き討ちを行った」という見解もあるが、『国盗り物語』では、信長の意志のもと光秀は嫌々遂行した感が強く描かれた。

台詞としても「信長は魔人か」と申す程。つまり、『国盗り物語』は信長が常軌を逸した存在である事を強く演出したかったのであろう。

実際の信長は信仰心が強く、後に築城する安土城に際しても、宗教画を描かせたり寺を建てたりと反宗教的な思想で延暦寺の焼き討ちをおこなったとは考えにくい。

『麒麟がくる』では、この延暦寺の焼き討ちを光秀がどう感じるか。否定するのか、自ら汚れ役をやるのか。どう描かれるか注目じゃ。

『国盗り物語』『麒麟がくる』の双方共に最大の山場となるのが本能寺の変。『国盗り物語』ではいくつか面白い点があった。

明智光秀の謀反の伝令に信長は最初、怒りの表情を見せてから徐々に冷静さを見せつつ、口を開くと「是非に及ばず」と言い放つ。この「是非に及ばず」とは「仕方がない」という意味であるが、最初の表情からはとてもそういう意味とは捉えられず、「光秀め」と激情しながらも己の過ちを認める人間らしさを表現していた。

『国盗り物語』では、正室である帰蝶が本能寺で共に戦っていた事にも注目したい。これは創作、小説の中での話である。生涯が明確に記されることがなかった、帰蝶だからこそできた演出でもある。実際、女子が武器を手に取って戦うことは戦国時代以前よりもある故に、夫婦としての在り方が感動的に描かれていた。

これを踏まえて、『麒麟がくる』での本能寺はどうなるか。信長と共に戦う帰蝶が見れるのか。

もしかしたら、誰も想像しない、帰蝶が本能寺の変に関与とかもあるかもしれん。光秀が、何がきっかけで本能寺の変を引き起こすのか、『麒麟がくる』の最大の見所になるであろう。儂も今から楽しみじゃ。

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