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剣聖・足利義輝の儚い最期…大河ドラマ『麒麟がくる』の“3分間”に凝縮されたもの

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年09月26日 公開 2022年08月15日 更新

 

将軍家根絶やし? 前代未聞の事件

永禄の変は将軍義輝のみならず、母(慶寿院、関白近衛家の血筋)や弟(周暠)までもが討死。

「足利将軍家を根絶やしにするかのような暴挙」という台詞がある通り、計画的な犯行であり、大事件。将軍殺しというのは重罪である。日本の歴史において多くの権力者達は将軍を手にかける事は避け、追放に追い込む事が殆どであった。

此度の事件の首謀者の一人である松永久通の父である松永久秀は追放には前向きであったが、手を下す事には断固反対する場面があった。それは、この先の汚名を考えると生きにくいという事を伝えている。

状況は違うが斎藤義龍が斎藤道三を倒した時に、「父殺しの汚名を背負って生きねばならぬ。」と申しておった通り、乱世とは申せど多くの人間を巻き込み勢力を拡大する上では、汚名は重荷となる。

後に信長も将軍・足利義昭との関係が悪くなるが、追放に留めておる。故に、永禄の変というのは追放ではなく、将軍殺しを選んだという点で大事件であった。

 

期待を集めた「剣聖・足利義輝の最期」はどうだったのか?

永禄の変の最大の見所となることを期待したであろう、剣聖・義輝の壮絶な散り際。義輝は、天下五剣と呼ばれし名刀を所持していた。天下五剣は、当世でも国宝指定も受けている。

これを筆頭に多くの名刀を所持し、自慢の刀剣を何振りも畳に刺して敵を次から次へと斬っていく。絵に描いたような名場面は、残念ながら描かれる事は無かった。

とは申せど、戦い方は現実味(リアリティ)を確かに大切にしておった。

畳に刺して戦うというのは、ドラマの都合上あらゆる点で難儀なのは皆も察しがつくであろう。故に、別の魅せ方を大事にしておった。

太刀を抜き、一人、また一人と自慢の剣術で敵を斬り倒す。然りながら、どんな名刀でも何人も人を斬る事は不可能。刃こぼれを致すからのう。故に、敵の得物を奪い取る場面を数秒であるが描いた。

また、室内は太刀。屋外は薙刀に切り替えた。実際、義輝は薙刀を振るったとも伝えられており、且つ戦場での"正しい戦い方"をしていた。

幾人の敵が義輝に手を焼いたようにも見え、戸を盾にして義輝を囲み槍で突いた。そこまでしないと抑える事が出来なかった義輝。「剣聖に相応しい、勇ましい姿を印象付けた」と儂は感じたぞ。

 

足利義輝はなぜ戦い抜いたのか?

13代義輝の後続は足利義栄(よしひで)。皆も知る義昭(覚慶)は15代。義栄は三好勢が選んだ後続である。

まだ幼い義栄を傀儡として、三好勢が再び畿内で力を取り戻そうとする背景がある。故にドラマでは、三好勢が関白・近衛前久に圧力をかけていた。

義昭の周囲を固めるのは義輝時代からの奉公衆(藤孝たち)であり、同じ足利家とは言え敵対関係。

本人に本当に将軍になる意思があったのかと考えると、まさにドラマで描かれておる通りで、周りに流されておったのであろうな。結局、戦国時代に名ばかり将軍が多くなるのは、このような状況によるものと言える。

この背景を知れば、義輝の将軍家を再興しようと戦いに身を投じておったことに心動かされた視聴者も多いのではなかろうか?

 

史書に「明智光秀」の名前が出てくる時代に突入

『麒麟がくる』では、明智光秀が人の器を見定める場面が多い。まさかの次期将軍候補である義昭を見定めたりするのは、今後の伏線とも言える。いつ、信長の器を見定めるか。

そんな信長であるが、美濃の斎藤を倒し、美濃国を手中に収め岐阜に改名し畿内に進出して参る。これからは、史実の書物に光秀の名前が度々登場するため、ドラマとして遊びの余地が殆ど無くなってくる。

ここからは史実の道筋の中で、光秀や信長をどう変化させていくかが見所になってくる。これかも『麒麟がくる』、注目じゃ。次回「第25回 羽運ぶ蟻」を楽しもうぞ。それでは、さらばじゃ。

【参考文献】
・『麒麟がくる 後編』  (NHK大河ドラマ・ガイド)
・『信長公記』
・『完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) 』(中公文庫)

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