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足利義昭の「裸足」にも深い意味が? 大河『麒麟がくる』が描く“貧乏公方の悲哀”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年12月26日 公開 2022年06月30日 更新

足利義昭の「裸足」にも深い意味が? 大河『麒麟がくる』が描く“貧乏公方の悲哀”

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の10人組で、10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

信長包囲網失敗、幕府滅亡までの真実

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』、「37回 信長公と蘭奢待」。室町幕府の終わりと新時代安土桃山時代への突入を告げる、重要な放送回であった。

これまでの時代を引っ張ってきた足利将軍家対時代の革命児織田信長が激突。「世の流れを見るのが肝要」という細川藤孝の台詞が合った通り、それぞれが今と先の時代を見て行動した。

槇島(まきしま)城の戦いにて幕府軍は信長に降伏した。ドラマの中では槇島城の戦いに焦点が当てられ、義昭が各地の大名に書状を送り、各大名と結束して信長を倒す信長包囲網の構図を描くことが重要視された。

ドラマでは描かれることは無かったが、この戦が起きるまでに信長は義昭と和睦をしようとしたが決裂、その結果、京を焼き討ち、大船建造と幕府との対決に力を注いだ。

大船においては、当時としても規格外の大きさで宣教師のルイス・フロイスも驚くほどであった。槇島城の戦いは、織田軍が7万近くの大軍で押し寄せ一瞬で決着がついた。

劇中で義昭が「何故、誰も来ぬ?」と憤怒していたが、武田信玄は病で倒れるといった問題もあったが、当時の信長の武力に各地の大名も恐れおののいたからであろう。この時、これほどの大軍と武具を揃える大名はそうおるものではない。

 

貧乏将軍・足利義昭…裸足姿に込められた演出

足利義昭は木下藤吉郎秀吉に捕らえられ、光秀と久方振りの再会を果たす。この時の姿に注目してもらいたい。降伏した時、汚れた直垂姿に裸足であった。演出としてあえてこの姿で登場させた、と儂は見た。

この戦を経て義昭は枇杷庄(びわのしょう)へ一時追放され、身内である三好家の若江城へと落ちる。

槇島城から枇杷庄へと追放される中で、秀吉警護のもと裸足でみすぼらしい格好であったため、民衆から義昭はその姿を見られて「貧乏公方」と笑われた。

故にドラマでは、光秀と会った時に裸足で汚れた直垂姿。後に搬送され、あの姿で笑われたのであろう。更に加えると、義昭はこの戦で敗戦し信長に嫡男を人質に差し出している。

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