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生き方

「嫌いな姑の不健康を願っていた妻」の心に芽生えた“やさしさ”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年02月01日 公開 2023年07月26日 更新

「嫌いな姑の不健康を願っていた妻」の心に芽生えた“やさしさ”

今の日本、あまりにもやさしさがない。そして、あまりにも優しさが尊ばれない。

作家で早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、このようにいう。

加藤氏の著書『やさしい人』(PHP研究所)では、人は心に問題を抱えていれば、やさしくはなれない。やさしさを考えることは、人間の心とは何かを考えることでもあると主張する。

やさしい人、やさしくない人の違いは何なのか。やさしくない人に共通する“あること”についての一説を紹介する。

※本稿は、加藤諦三 著『やさしい人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集してお届けする。

 

やさしくなれない人は、自分が「満たされていない」

やさしい人とは、心が満足している人である。これが、やさしさの第一条件。

「冷たい人」とは、心が満たされていない人である。「相手の気持ちをくみとることがやさしさだ」と言っても、自分が不満なら、相手の気持ちをくみとることは難しい。

不満な人とは、自分の気持ちをくみとってもらいたいのに、相手からくみとってもらえない人である。不満な人は、相手の気持ちをくみとる心理的ゆとりはない。

不満な人は、何よりも先に、自分の気持ちを相手にくみとってもらいたい。それなのに、「相手の気持ちをくみとれ」と言っても無理であろう。

また不満な人に、「もっとやさしくなれ」と言っても無理な話である。「もっとやさしくなれ」と言うよりも、やさしくなれる環境を創ることが第一である。

自分の言うことを相手が聞いてくれれば、その人はやさしくなる。大切なことは、相手の心を満足させなければ相手のやさしさは出てこないということである。

お姑さんを嫌いなお嫁さんに、「お姑さんを大切にしなければいけない」「お姑さんにもっとやさしくしなければいけない」と言っても、やさしくなるのは無理である。

ある家の話である。

お嫁さんは、お姑さんが嫌いで早く死んでほしいから、甘いものをあげていた。お料理に砂糖をたくさん入れる。

ところが、お姑さんは甘い食べ物が好きだった。お姑さんは嬉しくて、お嫁さんにやさしくなった。

やさしくなったお姑さんを見て、お嫁さんの気持ちが変わった。そこでお嫁さんは、医者に相談に行く。

するとお医者さんは、「あのお姑さんは、お砂糖が必要なのだからそれでいい」と言った。その人にやさしくしたければ、その人の今の欲望を満たしてあげることである。

 

やさしさは、だれでも持っている

やさしくなりなさいと言うと、人はすぐに、

花を折ってはいけません、弱いものをいじめてはいけません、ケーキを大事に食べましょう、というようなことだと思う。

しかし、やさしくなるためには、心の満足がなければならない。自分が嫌いなら、相手にやさしくなれない。

どんなに花が好きでも、心が満足していなければ、花を折ることもある。どんなにその人が好きでも、心が満足していなければ、意地悪をすることもある。

心が満足していれば、花にも、ヘビにも、雨の雫にも、やさしくなれる。やさしさはだれでも持っている。

いじめるとき、その子は満足していない。満足していない子に、「やさしく、良い子にしていなさい」と言っても無理。心が満足していれば、自然と人をいじめなくなる。

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著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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