1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「本当は嫌いなこと」を自覚すれば、“生きづらさ”が和らぐ

生き方

「本当は嫌いなこと」を自覚すれば、“生きづらさ”が和らぐ

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年02月04日 公開 2023年07月26日 更新

「本当は嫌いなこと」を自覚すれば、“生きづらさ”が和らぐ

今の日本、あまりにもやさしさがない。そして、あまりにも優しさが尊ばれない。

作家で早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、このようにいう。

加藤氏は著書『やさしい人』(PHP研究所)にて、不安に駆られて生きるのが辛い人は、「自分の本性」に逆らったことをしていると指摘する。

見失っていた「本性」を引き出すには、どのような方法を取れば良いのだろうか。

※本稿は、加藤諦三 著『やさしい人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集してお届けする。

 

見失った自分の本性

自己蔑視すると、賞賛を求めて自分の本性に逆らったことをしてしまう。そうした生き方には一つの線がない。

先生をしたり、アナウンサーをしたり、商売をしたり、経営者みたいなことをしたり、俳優をしたり、英会話を勉強したり、一貫性がない。

一貫性のない生き方をする人は、自分がほんとうにやりたいことがわかっていない。いろいろと進路を乗り換えているうちに、好きなものがなくなる。落ち着く場所がなくなる。

愛されないで成長した人は、賞賛を求めるから、なかなか好きなものが見つからない。いくら頑張っても、好きなものが見つからない。

好きなものが見つからないというのでは、先が地獄になる。自分の世界が脅かされなければ、人は好きなものは見つかる。

リスが栗の実を好きだと自覚したら、他の動物が「あそこにバナナがある」と言っても平気。逆に、そう好きでないリンゴを食べているときは、「人はどう思うか?」と気になる。

自分の本性に逆らったことをしていると、一つの線がない生き方になる。その結果が不安である。

不安の心理については、すでに前著『不安のしずめ方』(PHP文庫)で述べているので、ここでは詳しくはふれない。

ここでは、「自己蔑視→本性に逆らう→不安→さらに自己蔑視」という悪循環についてだけふれておきたい。

不安を本質的にしずめるためには、自分の本性を探すことである。自分の内的資源を豊かにすることである。つまり自己実現することである。

あなたは今まで、不安だから、いろいろなことを「やろう、やろう」と思っていた。でもそれは、自己実現ではないことを「やろう」として頑張っていただけ。

心が病んだときは、自分ではやっていると思っているけれど、実際にはやっていない。八方美人になって八方塞がりになり、一人で辛がっていただけ。

あなたはウサギなのに、ウサギとして頑張っているのではない。ライオンのまねをしているだけ。

不安なときは、自己実現していない自分に気がつく時期なのである。「そうか、やっていないな」と気がつく時期。

マズローは、「人は自己の本性に逆らう罪を犯し、悪行を重ねると、これらは例外なしに、ことごとく無意識のうちに記憶されて自己蔑視の念をかきたてるということである」と述べている。

自分の本性に逆らって気に入られようとすると、どうしても自分で自分を軽蔑してしまう。そして、自分で自分を軽蔑すると、傷つきやすさをはじめ、さまざまな病的な心理現象が現れる。

自分の本性に逆らったら、やさしい人にはなれない。
自分の本性に逆らったら、自分の心は火事になっている。
自分の本性に逆らったら、自分の心がわからない。
自分の本性に逆らったら、何を食べたいかもわからない。
自分の本性に逆らったら、自分の心は泣いている。
自分の本性に逆らったら、何をするのも億劫になる。

 

不安だから臆病になる

気に入られたいと努力するときには、相手に見える犠牲を払う。見せるための犠牲である。相手に恩を着せるための努力である。

ロロ・メイも、「われわれがだれか他人の賞賛を目あてに行動するとき、その行動自身は、自分に対する弱さと無価値さの感情をそのまま思いださせるものである」と述べている。

自らの本性に逆らったことをしていると、いつしか臆病な性格になっている。そして、その不安から、より本性に逆らう生活をするようになる。

本性に逆らうことと不安と自己蔑視が、悪循環をしていく。自分の本性に逆らったのは、淋しいからであり認めてもらいたいからである。

今が不安だからであり、周囲の人が何となく怖いからである。しかし、本性に逆らうと、今述べたように、ますます不安になり、ますます怯えの心理に悩まされるようになる。

そして、不安の領域は拡大していく。

「もしかして、この会社から解雇されるのではないか?」
「もしかして、離婚を言い出されるのではないか?」
「もしかして、あの人から嫌われているのではないか?」
「もしかして、あの人に騙されているのではないか?」

と、次から次へと不安の領域を増やしていく。

つまり、いったん不安になると、人は悲観主義に陥る。アリがライオンに見えてくる。ヒツジがトラに見えてくる。

そうなれば、事実はアリであっても、その人にとってはライオンなのである。事実はヒツジであっても、その人にとってはトラなのである。

人間は、もちろんある範囲であるが、作られる。その人が、不安に対してどういう態度をとるかによって、本人が気がつかないうちに性格が作られていく。

大切なのは、不安に対してどういう行動をとるかということである。その結果が、知らないうちに自分の性格となって自分の生活に返ってくる。

次のページ
本性に従って生きれば辛くない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

関連記事

×