「社内飲み会は時間の無駄」10年で派遣から巨大グループ企業の執行役員になった人の生き方
2021年03月11日 公開 2024年12月16日 更新
23歳のときに、巨大企業の大塚製薬グループに派遣のヘルプデスクとして採用された二宮英樹氏。そこからたった10年で、社員3万人の大塚製薬グループ企業の執行役員まで駆け上がった。
一体どのように“キャリアアップ”を果たしてきたのだろうか。新著『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)を上梓する二宮氏に話を伺った。
短大卒の“派遣社員”からグループ企業の“役員”に
――二宮さんの略歴をみると到底信じられません。23歳で大塚製薬に派遣として入り、そこからたった10年で大塚製薬グループ企業の役員になった。言い方は悪いですが、短大卒、地方出身でコネもまったくない、資格もない、MBAも持っていない、松下政経塾に行ったわけでもないのに。
【二宮】当時は働くことに必死でよく覚えていませんが、事実です。
とにかく膨大な仕事量をこなしながら、その日の仕事を綺麗に捌き切って1日を終えることにエネルギーの全てをかけていたように思います。翌日に仕事を残さずやり切ることで、個人的に日々達成感を感じているような過ごし方でした。
――出世もかなり早いですね。周囲には、東大卒、京大卒、アメリカの有名大学卒の同年代たちの正社員たちがいたと思います。
そういういわゆるエリートサラリーマンを、まるで新幹線から在来線を見るような感じで、ぐんぐん追い越していったのは圧巻でしかないです。そこには何が原因としてあるのでしょう。
【二宮】最短で的確に顧客の課題を解決することや、刺激的な人々や素晴らしい上司との巡り合わせ、絶えず新たな知識を得る好奇心など色々あると思います。
当時のITは今のようにニュースで取り上げられるほど目立った部門でもなく、営業やマーケティング、経営企画のような事業会社の花形からすると、遠くてマニアックな部門だったと思います。
そんな中で、仕事が早くて、話がわかる(問題をサクッと片付けてくれる)ので、他のITの人に比べて、ラッキーなことに“使える人材”として映ったのではないでしょうか?
当時のITの課題解決は、多くの人は、顧客の問題を解決するというより、自分が気になるので調べて直すといった顧客視点が低かった時代だと思います。
また、どことなく皆さん役職や立場で遠慮したり、必要以上に責任分界点を決めたりしてドライな人付き合いしていたりするのも多く見受けられますが、僕はかなりフランクに人付き合いさせて頂いていたと思います。
新しい情報なども、自分の関心で調べるというよりも、いろんな人との出会いの中で、外から新たな事を学ぶといったことが多かったように思います。
飲み会に頼らない「人付き合い」
――その話の中で興味あるのは“人との付き合い”ですね。現代人は会社内での立ち居振る舞いが苦手だとも言われます。社内で同僚や先輩と飲みに行く文化もほとんどなくなりました。コツはあるのでしょうか?
【二宮】いわゆる寝技と呼ばれるような「仕事のために飲んでコミュニケーションを取る」方法などは、楽しくないし、時間の無駄なので、やっていません。そんなことより、とにかく困った人の問題をできるだけ早く解決してあげることに尽きます。
自分ができない課題解決してくれる人ってやっぱり価値を感じて貰いやすんじゃないでしょうか?例えば、急ぎ直ぐに資料を直して遠くの取引先に送らないといけないのに、PCに不具合が出て、立ち上がらなかったり、メールが壊れたりしたらどうですか?すぐ解決してくれたら嬉しいですよね。
「いや〜、かなり焦ったけど、速攻直してくれたから、すぐ対応できて助かったよ!」などと言われると、いい仕事ができたと思えますよね。そういった感謝の言葉が僕の翌日のエネルギーになっています。
感謝の言葉を食って生きているようなものです(笑)そしてそういう関係が続けば、信頼もして貰えるし、仲良くなるし。